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2013.02.12

【本】2050年の世界 -英『エコノミスト』誌は予測する

 

「未来」っていう言葉の響きはどうしてこうも人を魅了するんだろう。
 

「2050年の世界」と言われれば、そりゃ気になる。

 

 

2050年の世界 -英『エコノミスト』誌は予測する

 

冒頭、「あらゆる予測は当たった試しがない」と言い訳めいたことを統計的&歴史的に証明されて、読むのやめようかと思ったものの、やっぱり記者のみなさん頭がよろしいようで、面白い。

 

経済、政治、人口、宗教、文化、バイオ、IT、などなどあらゆる視点での分析。
EUへの言及はほとんどなく、アメリカ、日本、BRICs辺りが中心だった。

 

記者それぞれの主観的な解釈が多く見えたけど、それが主観的なのか客観的なのかも「予言」である以上はどうでもよくなるので、半信半疑で読み進めていくのが楽しい。

 


 

どの章でも言及されていたのは、人口推移と経済発展の関係性。
 

あちこちで聞く話しだけど、日本は世界でダントツトップというか、未だかつてどの国も経験したことのない少子高齢化を突っ走っていて、「人口の配当」(=人口の多い世代が労働者人口になって得られる経済成長)をすべて使い果たしてしまった今、もはやどうしたって経済は(相対的に)弱くなる。
 

下の図の該当「なし」というのが笑ってしまう…。
オーストラリアと同じくらい、っていうのがまたイメージが尽きにくい…。
 

 

たとえ今現時点で東京で暮らすのが世界で一番お金がかかるとしても、いろんな常識が変わっていく。
 

最近よく叫ばれる「日本再生」的な祈願が、過日のバブルのようなウハウハな時代の再来を願っているのだとすれば、それはもう絶対に叶いっこない(当たり前だし、個人的にはバブルはやめてほしい)。
 

「日本の衰退を食い止める」ことに躍起になってごく一部の人がガンガン突き進むことも必要だけど、それよりも、国全体がどうこの「常識の変化」に適応していくか、という方が大事なんだろう。
 

おまけにこれでいくと、中国も2025年には人口減少、2050年になる頃には人口の負の配当を受けている。
逆に、インドと中東とアフリカが配当を最も享受している。
 


 

続いて、第5章「言語と文化の未来」。
経済がグローバル化しても、文化はローカルでい続ける、という主張が面白い。
 

文化の輸出入は、せいぜい言語で言えば英語くらいで、音楽も映画もアートもなかなか文化圏≒国境を超えるグローバル志向は起こりにくい(あくまで中心にはなりにくい、ということだろうけど)。

 

中国やイスラム圏で美術品の購買量が飛躍的に伸びたのも、売買された作品のほとんどは、中国とイスラムの古美術がほとんどだったという話し。音楽、映画も同じように論じている。
 

たしかになぁ、と思う。

 

 

 

2050年ということは、これから約40年後。
時間にして、ビートルズが解散してから今に至るくらいの時間。
自分が社会から退き、子供たち世代が社会でバリバリ活躍する頃。

 

ぜんっぜん、イメージつかないなぁ。

 

いずれにせよ、その時も、「未来」って言葉が魅力的な響きがするものであったらいい。

 

2050年の世界 -英『エコノミスト』誌は予測する