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2007.11.28

恩師の声は、圧倒的に愛だった。

ぼくには恩師と呼べる人が二人いて、
その中の一人にオキザキ先生という人がいます。
国語の先生で、中学生当時、今のぼくと同じ25歳くらい。
外で遊んだり、ゲームをしてばっかりいたぼくがやたらと本を読むようになったきっかけは、今思えばこの人だったのかもしれないと思います。
最終的に自分が教育の分野に携わりたいと思っているのも、この人のおかげかもしれない。
人生のこと、恋愛のこと、生きること、死ぬこと、
色んなことを、放課後にわざわざ時間をとってもらって教えてもらいました。
今日、ちょっと大事な用事があって、
ネットで検索をして連絡先をつきとめ、電話をしてみた。
もう先生は学校にはいなくて、
京都で幼稚園の園長と牧師を兼任しているらしい。
電話の向こうから、
10年前と変わらず元気の良い声で「もしもし!」と聞こえてきたときには、
仕事ではりつめている緊張感がフニャーンと崩れてしまいました。
いっつも元気が良く、
人のことばっかり気にして、
たくさんのわらじを履いて、
今日も徹夜でやることがあるらしかった。
京都のはずれで、毎日子供と接して、
3人の子供に恵まれていて、
身近でささいなことにも、全身全力で向き合うその暮らしを聞いて、
今のぼくの暮らしというか、
日々考えていることと根本的な価値観のギャップを感じ、
なんだか奇妙な心持ちでした。
先生は、30代半ばの今もやっぱり毎日アツく、圧倒的に愛でした。
本当の教育者とはその存在が愛なのだと思い、
教育者に関わらず、人間とは、つまるところ愛なのだと、
とんでもなくクサくて、日々そんなこと考えてたら仕事できねーよ、
っていう現実と真実のギャップに、葛藤し続けることを決めた30分の電話でした。