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2014.03.04

「いいネットコンテンツ」ってどこにあるの?


 
「いいネットコンテンツ」ってなんだろか?
ってことを考えてたら、脱線しまくってきたのでひとまず書きまくろうと思います。
 
 
いきなり子どもじみた感情論ですが、「業界」や「権威」って、キラいです。(好きな人がいるのかわかりませんが)
 
癒着とか既得権益とか、そういうことに対してアンチを唱えるつもりも勇気もありません。そこじゃなく、業界や権威って、「主観を客観に置き換えて正当化する」んですよね、しょっちゅう。周囲への想像力が足りない。それが、どうにもダメなんです。
 
権威で言えば、ミシュランは「おいしい」という主観を客観的な事実にすり替えるし、視聴率は「面白い」という主観を客観的な事実にすり替えます。
 
業界で言えば、あるデザインを見て、「あー、いいですね。ブランディングできてる。」とかいう談話。これはそもそも日本語の問題。まずはググった方がいいです。
音楽だったら、ある音楽を聴いて、「あー、このアーティスト、いいかんじに育ってますねー」とか誰視点なの?的会話。 あなたがアルバム1万枚買ってくれるの? と思います。
 
バブル崩壊まではそういうんでよかったのかもしれないけど、その人個人と、受け手の価値観の区別がつかなくなって、「いい」が絶対化されちゃう。これが業界や権威の危ういところだし、その独善的なかんじが、どうしても好きになれないのです。
 

(大好きな漫画より引用)
 
 
そこへ来て、先日走ったショッキングなニュースがこれでした。
 
自殺防止呼びかけ広告並べたソウル・麻浦大橋、かえって自殺者が激増―韓国メディア
 
広告業界の話しになりますが、ソーシャルグッド(この単語自体もうよくわからんが)な広告が最近の広告賞を総なめにしています。ソーシャルグッドの何が怖いかって、とりあえず誰にとっても「いい」と思わせる強制力があるからで、それと広告賞のような権威による「『いい』の絶対化」が合わさると、もう手に負えなくなる。その隅っこで何が起こっていても、本当はそれによって傷ついている人がいても、全部無視して「シェア」や「リツイート」という名の豪速列車が「いいーーーー!!!」を世界中に広めていく。この独善性。100%の正義なぞこの世にはないと、過去100年で学んできたはずなのに、なかなかどうしてぼくたちの想像力は成長していきません。
 
 
で、ここでようやく本題。
「いいネットコンテンツ」について考えていたんでした。
 
最近、WEBメディアの新たな台頭がすさまじく、こちらもメディアを長らくやっている身として負けてられんと日々勉強させてもらっています。特に海外では、日本以上にわかりやすいトレンドが形成されています。
海外における新興ウェブメディアの隆盛 〜12のメディアから見えてくるもの〜
 
これらのメディアを見ると、まぁそれは面白いです。BuzzFeedにはよく爆笑させてもらってます。きっと、紙や放送などの従来のメディアに依存しない、ネットならではのコンテンツの作り方が生まれてきているんだろうなぁと思うし、勉強になります。
 
ただ、「あれ? 業界化してないか?」という怖さを感じることもあります。
プレイヤーが増える→セミナーが増える→業界ができる→「いいネットコンテンツ」の正当化がはじまる、という具合で。
 
ただ、こういう「ネットコンテンツの『いい』の絶対化」を考える時に、他の業界と決定的に異なる点が2つあるんじゃないかと思うんです。これは結構問題が根深い。
 
1つ目は、「いい」の指標の存在です。散々語られていることですが、ネットコンテンツの場合は、「PV数」や「いいね数」という客観的指標が存在します。その場合どうなるかというと、「いい」は権威が判断するのではなく、数字をとればOKってことになるので、競争性が高くなる&プレイヤーの流動性が高くなる(流行り廃りが激しくなる)。作る側からすれば、「バズればいいんでしょ?」ってなる。
 
そういうところで「いや、ブランドが…」とか「パクるのはまずいんじゃ…」とか遠慮がちに言ってみても、コンテンツなるもの見られなければ意味がないわけで、反論しづらくなります。たしかに、テレビや雑誌と違って、ネットコンテンツは、見られなければほんとに見られないし、しかもそれが全部数字で明らかになります。せっせと作った身としては、これは実に悲しいことです。。。
ただ、「PV数」と「いいね数」を優先させて考えると、どうしても焼き畑的になります。小売で言うところの「とりあえずセールやっときゃいいでしょ?」みたいなもので、セールばっかりやってプロパーが売れなくなるという悪循環。企業広告であれば、「あの超面白かった広告、どこの企業のだっけ?」って、本末転倒な事態が起きる。持続性や文脈(=実体)が生まれないところに予算が投下され、自然消滅していくわけです。乱暴かもしれませんが、この辺は国家の金融政策と大して変わらないんじゃないでしょうか? とりあえずお札ばらまいても、長期的な経済成長にはつながらないはず。
 
PV数やいいね数も含めて考えられる、新しい実体的な指標や、それに基づくたくさんの好事例が必要になってきていると思います。じゃないと、インターネットというメディア自体への不信がまた高まり、まだ序盤に過ぎないインターネット革命が、遅々として進まなくなる。まぁここまでは綺麗ゴトです。幸いにも、作る側にいるので、やっていかねば。
 
 
2つめは、メディア環境の問題です。こっちの方がもっと厄介です。どういうことかというと、そのコンテンツ自体はその人にとってたしかに「いいコンテンツ」だったのに、すぐ忘れちゃうほどどうでもいいものにならざるをえない環境になっているということです。
 
ヒキのあるコンテンツがFacebookやTwitterで流れてくると、面白そうで、ついクリックしちゃいます。でもそのほとんどがドーピングみたいな刹那コンテンツで、気づくとそういうコンテンツの中毒になってる。感動するようなコンテンツをひたすらクリックして、もはやパンチドランカーみたいになってる。こりゃもう「コンテンツジャンキー」と名付けていいのではないでしょうか? 読む側もですが、作る側も一瞬にして消費されるので、作ることをやめられません。ぼく自身も、1ヶ月前に「いいね」して涙した動画や、こりゃ役立ちそうだと関心した記事のこと、何一つ覚えてない……(ぼくだけ?)。それは本当に自分にとって「いいコンテンツ」だったんだろうか? いや、たしかに心に染みた。でももう忘れた。。。
 
という具合に、「よくても忘れる」という悲惨な状況になってます。少なくてもぼくはそうなんですが、みなさんどうなんでしょう?
 
つまり、コンテンツそれ自体の問題ではなく、インフラ、デバイス、メディアなど、周辺環境によって、「いい」という個人の絶対的価値すら、信用ならないものになってきているという状況です。「業界とか権威とか、キライっす」とかじゃれ合うレベルじゃ済まされなくなってきてる。
 
コンテンツジャンキーになると、少しずつ思考が停止してきます。暇さえあればスマホ見てるし、受信する言葉の量が凄まじいので、思考できなくなる。言葉は人間に思考させるために生まれた発明品。きっと、これまでもこれからもこれ以上のものは生まれえない、最高の発明品でしょう。
 
なのに今、その言葉の量が多すぎて、思考停止させるのに一役買っちゃってるわけです。だからと言って「紙に戻ろう」とか、「情報断食しよう」なんて、不毛だし、そもそもインターネット界隈は最近やたらに楽しいのでそんなことしたくありません。
 
でも、思考停止するくらいなら、正直人間はいない方がいい。他の生き物を必要以上に殺しまくって生きながらえているんだから、思考が止まってしまったら、ただの大量殺戮マシンに成り下がります。
 
もしかすると、もっと若い世代は(この表現さびしい!)、より現代にマッチした情報処理能力を持っていて、うまい具合に知性や価値観を保持しているのかもなぁと妄想したりもします。もしくはただ単に、LINEやWhatsAppなどのメッセンジャーアプリにエスケープして、できるだけ1to1のコミュニケーションに切り替えているのかもしれません。それも1つのサバイブする方法なのかも。
 
うーん、どうにも歯切れが悪いんで、言葉とインターネットの「いい」関係、いろいろ試していきたいです。
 
 

2014.01.06

新年のご挨拶。2014年、疑います。

 
2014年 年賀状
 
2014年がはじまりました。
 
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
 
今年は、郵送ではなく、
↑に貼付けた、全員集合写真を添えたメールでご挨拶をさせていただきました。
 
「ナルシストか!」
という突っ込み待ちをしている画にしか見えなくなっていますが、違います!
 
お世話になっているみなさまに、
「企業」という主語ではなく、
社員一人ひとり「個人」からご挨拶をしたい、
という意図でこのような形にしました。
 
今年も皆様のおかげでいいスタートがきれそうです。いつもありがとうございます。
 
もういっかい、あけましておめでとうございます。
 
 

 
 
CINRAでは毎年新年に、その年の行動規範としていつでも立ち返られるような、テーマを決めています。
いろいろ考えちゃいますが、シンプルなワード1つに落とし込みます。
 
で、2014年は、
「疑う」にしました。
なんか新年っぽくないですが、疑う、です。
 
 
自分たちの仕事をあらためて振り返ってみて、
「プロって、なんだろう?」と考えました。
 
プロというのは、その人に何かをお願いすれば、
最善の、または最上の答えを提供してくれる人のことを言うのかもしれません。
 
もしくは、そもそも誰からのお願いがなくても、
自ら時代を切り開ける人のことを言うのかもしれません。
 
いずれにせよ、
時間と情熱と才能の掛け合わせが、
プロをつくり出していくんだろうと思います。
 
企業活動であれば、
そこに「組織力」という変数が加わって、
その積み重ねが「利益」という形で還元されます。
 
 
ただ、「プロになること」と「プロであり続けること」は、違うよなぁと思うのです。
 
これだけ時代の流れが早く(特に我らがインターネット周辺)、昨日の最先端が、明日には古くなってしまっている中で、「プロであり続ける」というのは、これはもう至難のワザです。
 
昨日の正解が、明日の不正解で、
昨日の感動が、明日の当たり前になるんだとしたら、こりゃもう、キリがない。
 
けど、だからこそ毎日何かが起こっていて楽しい。
 
たぶん、この濁流に流される側に立つと、まったく楽しくなっちゃうんです。だから、流れの先端にいたい。
 
 
じゃあ、そんなスピーディーな中でも
プロであり続けるために、「一番必要なもの」って何だろうか? と考えました。
 
それで出てきたのが、「疑いの目」です。
世の中への疑いの目じゃなく、自分(たち)への疑いの目が、一番必要なことではないかと。
 
 
うまくいっていても、そうでなくても、
つねに、「本当にこれでいいのか?」と問い続ける姿勢。
 
ストイックなかんじもしますが、
そうは言っても、
「え? 土日でやれるじゃん?」とか、
「実質1時間しか寝てないんだけどー」とか、
そういうミサワ的自己満足の話しではありません。
 
クライアントより、ユーザーより、同業の誰より、
自分たちが自分たちに対して批評的な目を持つこと。
 
時にはこれまで大切にしていたものや、
自分たちの当たり前を、壊したり交換したりすることを厭わない姿勢。
 
そしてそれがチームで行なっていることであるならば、全員が空気を読むことなく、「本当にこれでいいのか?」を全員に対して問い続けられること。
 
こういう姿勢が、大事だよなぁと思ったのです。
 
いや、大事というか、そうだったらほんと楽しいよなぁと思ったのです。
 
 
仕事でも生活でも、
永遠に続きそうでいて、
ずっと続くものは、ほとんどありません。
 
 
1年というこの短くてすぐに過ぎ去ってしまうサイクル。
これをたった100回繰り返すだけで、
今この街で歩いている人はほぼ存在しません。
自分も、大切な人も、もういません。
 
だからこそ、後悔したくないし、
時に、日常の当たり前を振り返ってみたりする。
 
※『これだけは読んどけ! 死ぬ前に後悔すること10 – NAVER まとめ
 
 
企業でも、
100年以上続いているところもありますが、
途中で必ずやドラスティックな改革があって、
同じ思想で、同じ事業で100年続いている企業はまずありません。
 
※『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』
 
 
自分たちの仕事で考えれば、
たとえ今、なんとか形になっていても、
それはもう明日には、価値がなくなってしまうかもしれない。
 
だから、今を疑い続ける。
 
サバイブするために無理矢理やるんじゃなくて、
社会や自分がアップデートしていくことが楽しいから、疑う。
 
 
今年だけのテーマってわけでもなさそうですが、
今年は特に、そういう意識をもっていたいとおもいます。
 
これまでの自分たちに様々な揺さぶりをかけて、
トライ&エラーをしてみたいです。
 
少々お見苦しい点や、
「イタいなぁ、シンラ」ってところがあるかもしれません。
でも、そういうのがなさすぎるよりもいいかと。
 
 
新年から、
自分たちの暑苦しい話しばかりですみません。
やっぱりナルシストかもしれません。
いや、せいぜい自意識過剰で抑えておきたいです。。。
 
2014年も、よろしくお願い致します!
  

2013.12.25

日本文化を海外に発信する、「スマートな戦略」はあるのか?

 
30度を越える暑さの中、街はクリスマスムード全開のシンガポールです。
フラフラ歩いていると、マライアキャリーを20回くらい耳にします。
 
さて、12月20日、シンガポールにてASIAN KUNG-FU GENERATIONとストレイテナーのライブが開催されました。日本ではフェスじゃない限り、対バンなどありえない豪華な2バンドだし近くで見られるしで、すごく贅沢な時間でした。
 
ライブも素晴らしくって、地元の人たちも大盛り上がりでした。
 

asian kanfu generation
 
「日本のカルチャーをどうやって広げていけばいいのだ?」というのは、シンガポールに来てからずっとぼんやりと考えていて、このライブをきっかけに、まとめておきたいと思いました。
 
 
以前もブログで書いたように、アジアではどこにいっても、エンタテインメントは韓国一人勝ちだなぁと痛感します。ファッションやコスメも、ぐいぐい来ています。
 
現地の若者に話しを聞くと「日本はいいものがたくさんあるのに、伝え方が下手なんだよ!」と怒られます。こちらに来てから、もうかれこれ何十回も言われています。こんちくしょう。
 
どうやら、2000年以降、日本のカルチャー情報が、あんまり国外に届いていないっぽいのです。みんなが知っている日本のアーティストの名前が2000年あたりで止まっています(一部の強烈なファンやアニメと食は除いて)。たぶん、ayuあたりです、主に。
 
もちろん、「韓国か日本か」みたいなつまらない二元論は間違っているし、KARAとか少女時代かわいいし、共存したいです。それでもやっぱり「どうしてそんなにスゴいことになったんだろうな?」って気になっちゃいます。
 
だって、どういう角度から見ても、ぜんぜん日本の作品は負けてないわけです。作品の問題じゃないのなら、あとは戦略の問題になってくるのだと思います(もちろん言語の問題もあるけど、それも含めて戦略)。
 
で、考えるのです。
 
 
「みんな『伝え方が下手』って言うけど、何かいい方法はあるんかいな?」と。
 
 
いや、そんな画期的な手法、あったらとっくにみんなやってます。
 
ミラクルは願っていても起きなくて、「戦略」って、その言葉の響きが持っているほど万能でスマートなものじゃない。お金さえ突っ込めばなんとかなることでもなく、結局はやることをきちっとやって、地道な活動を続けることしかないんだなぁと思うのです。それはもう、ビラ配りとか、そういうレベルで。
 
ビラ配りにだって、どういうデザインにするのか、キャッチコピーはどうすれば響くか、どういう場所で配ればいいのか、など、膨大なノウハウが必要なわけで、それはもう、泥臭いけど自分の足で動いてみて、やってみなきゃわかんないと思うんです。
 
デジタルにしても、YoutubeのオフィシャルPVが日本国外からだと見られないとか、ライブ中に写真撮っちゃダメで、ましてやソーシャルに拡散するなんてもってのほか、とか、そういうもどかしい部分を最適化して、地道にやっていかないといけない。
 
よく例として挙げられるアーティストtoeが海外ですごく人気なのは、インストバンド(歌=言語がないバンドだからハードルが低い)だからっていうことだけじゃなくて、そういうことをやっているからなんだろうなぁと思うのです。すごいです。
 
堀江さんの言葉をいただけば、
ゼロから小さなイチを足していくっていうやつです。
 
 
結局のところ、根本にあるのは「戦略」なんて頭の良いものではなく、「危機感」の問題なのだろうと思います。ネット上でブラック企業と批判されるユニクロの柳井社長がいつも言うのは、「茹で蛙」の話しです。徐々に暖まっていく鍋の中にカエルを入れておくと、その温度の変化に気づかずに死んでいく、という話しです。
 
韓国の場合、1997年のアジア通貨危機という「熱湯」を思いっきりぶっかけられたことで路線を変え、「外貨を稼ぐ」方向にシフトできたと聞きます。
 
で、こんなに偉そうに書いているぼく自身も、月に1度東京に戻ると、やるべきことのオンパレードだし、お客さんもぼくを必要としてくださるし、十分に忙しいから、安心な気がしちゃいます。けど、徐々に鍋のお湯の温度は上がっているんだなぁと、シンガポールに戻ると、振り子のように体感するのです。
 
 
teteatete
※「英語と中国語以外を話そう」という現地の若者が集まるイベントの様子。ドイツ語バルーンや韓国語バルーンには人が集まっていて楽しそうだけど、日本語バルーンには誰もいないというショッキングな光景……。
 
 
一目散に「海外だ!」と言うほど選択肢は少なくないし、そんなにすぐに結果が出るほど海の外はぬるくないんだと痛感します。でも、国内外、全方位で未来を想像して、どうやって期待感と危機感の両方を獲得していくかっていうのは、すごく重要と思います。今。
 
その意味で、今回のように、日本だけでも十分にたくさんのファンがいる素晴らしいアーティストが海を渡り、ライブをするというのは、本当に素敵なことだし、その演奏に心打たれました。
 
全体として見れば、道のりは長く、1回や2回で何かが変わるものではなく、5年10年とかかる大きくて地道な変化なのだろうなぁと思います。打ち上げ花火というより、農業。
 
 
長く時間はかかるかもしれないけど、
やっぱり目の前で、MJよろしく、『This is it!!!』って伝えられるパワーは、何にも勝っていました。
 
ご招待いただいたストレイテナーの堀江さん、マネージャーのWさん、イベント運営されたVivid Creationsのマホさん、ありがとうございました!
 

2013.10.21

シンガポールの仕事場:HUB Singapore

シンガポールに移住して、半年が経ちました。
 
毎月1週間東京に戻っているから、
その都度、味覚がジャパンクオリティに引き戻される生活です。
 
最初の数ヶ月は、
どっちが拠点なのか身体が理解できていないのか
行き来する度にわけわからないかんじでしたが、
ようやくここのところで「シンガポールがホーム」と身体が覚えてきたような気がします。
 
やはり、旅行で来るのと住んでみるのとは、結構違うものです。
そして、シンガポールは、本当に安全で快適な国です(とくに暑いのが好きなぼくにとっては)。
 
あっという間に半年経ってしまったので、
取り返すためにも、ちょこちょこブログを復活させていきたいと思います。
 
まずは、週の半分くらい通っているシェアオフィススペースをご紹介します。
 
 
HUBというシェアオフィススペースです。
東京にも今年できたようですが、世界中に展開しているシェアオフィスです。
 
HUB Singapore
 
形としてはシェアオフィスなのですが、
それよりも「スタートアップのコミュニティ」といった方が良いかもしれません。
トークイベントや、投資家とのマッチングイベントなどもやっています。
 

 
ここには、シンガポール含め、
他のアジアや欧米から様々なスタートアップや、
いわゆるソーシャルアントレプレナー的な人たちが集まっています。
 
スペースもフリーアドレスなので、
わりとみんな仲が良いです(写真はなんか暗いけど)。
 

 
日本人はずっとぼく一人だったのですが、
つい最近、何名か参加されてきたようです。
 
ここを選んだのは、以下のような理由からでした。
1. ずっと家で仕事するのはキツそう
2. 日本人が少なく英語が飛び交っていてなんかテンション上がった
3. 安かった(週3日使って2.5万/月くらい)
 
 
シンガポールに来て以来、
たくさんの日本の方々と交流させてもらっていますが、
HUBのコミュニティは、そこからはだいぶ遠いところにあります。
 
こちらへ来たからには、
そういうITやスタートアップならではの空気も感じながら
仕事をしたかったので、ぼくにとってはうってつけでした。
 
最近は、ようやく言葉にも慣れてきたので、
ちょこちょこ仕事中に雑談をしたりしながら、
気持ちよくやっています。
 
 
しかし、ものすごく驚いたのは、
ここにいる人たちのほとんどが、7時くらいになると全員帰ることです。
 
もちろん、成果は時間に比例しないけど、
それでもスタートアップって、圧倒的に時間が足りないもんじゃないかと思うんですが、
帰っちゃうんですよね。
 
もしかすると家でやってたりするのかもしれませんが、
日中もわりと雑談しながら仕事してるし、
「この人たちいつ仕事してるんだろ?」と思います。
 
ぼくの常識では計り知れない集中力と生産性を
持ち合わせているのかもしれません。
 
 
この他にも、IT系のスタートアップが集まる施設があって、
NUSという国立大学とSingTel(通信会社)が運営している
「Plug@Blk71」という施設があります。
 
これについては、ライターの岡さんのコチラの記事で紹介されてます
ここでもよく、トークショーを開いたりしています。
 

 
 
シンガポールに来てみて、まず驚いたのは、
ものすごくシンプルに「学歴」「キャリア」「給料」を大事にしている国だなぁということでした。
あと、政府関係者とのネットワークでしょうか。
 
けど、人レベルではみんなとてもオープン。
なんというか、おしなべてすごくやさしい。
英語も人によって習得レベルがバラバラなので、コミュニケーションも寛容。
 
さらに、こういうスタートアップのような新しい動きをサポートする動きにも積極的です。
おまけにそれが自国民だけでなく、欧米やアジア各国の人々で支えられていて盛り上がっているのも、
この国で仕事や生活をする魅力だなぁと思います。

2013.05.08

クライアントのために仕事をしない。

「なぜ働くのか?」は、ずーっとついてまわる根が深いやつです。
 
5W1Hで言えば、この「Why」以外の4W1Hも、たしかに大切かもしれない。
 
経営をうまくやるものだったり(WhatとかHow)、人が楽しく持続可能に仕事をする(WhenとかWhere)ためだったりする。誰とやるかという「Who」も、すごく大事。
 
最近よく「(これからの新しい)働きかた」に注目した雑誌や記事を見かけるけど、それはたいてい働く時間(When)や場所(Where)についての話しで、「なぜ働くのか?」という話しをスルーして、あたかもそれが仕事の本質のようなことになってしまっているから、どうにも居心地が悪い。
 
いざっていうときに立ち返れるのは、やっぱり「Why」しかないんじゃなかろうか。Whyだけ、別次元の質問だと思う。
 


 
 

それだけ大事な「なぜ自分はこの仕事をしているのか?」だけど、実際のところその理由は、人それぞれで、なんでもいいんだと思う。金持ちになるでも、家族とのんびり過ごすでも、世界を変えるでも。短期的なものでも長期的なものでも。自由に労働の理由を選択できるほど平和なんだから。

 
とにかく何らかのWhyがあることが大切だし、ないなら自分でそれを見い出す力が、何より大事な能力だよなぁと思う。

 
 
さて、唐突ですが、
 
クライアントのために仕事をしない。
 
これ、なかなか難しいですが、ぼくのWhyにとって重要なポリシーです。
 
 
もちろん、クライアントや広告主の皆様方を軽視しているわけじゃなく。
 
CINRAは、メディアの運営や広告の制作をしているから、基本的にクライアントや広告主からお金をいただいて運営している。お金をいただく以上は、間違ってもその広告や記事がクリエイターのオナニーであるべきじゃなく、その投資以上の効果(利益)に貢献しないといけない。それができないと思うなら、その仕事は受けるべきじゃない。KPIだのUSPだのROIだの、アルファベット3文字を並べまくった企画書だって、ほんとのところで取引先に貢献できないなら、それはただのおままごと。
 
でも、だからと言って、その「クライアントへの貢献」が仕事をする理由や目的になるわけではない。
あくまでそれは、前提条件だと思っている。とても難しい前提だけど。
 
 
一方、自分たちのクリエイティブの限界に挑み、「世界のトップクリエイターになる!」 とか「自分たちにしかできない表現で驚かせる!」というのもかっこいいけど、自分がクリエイターあがりでないからか、やっぱりこれもしっくりこない。
 
 
ほんとに申し訳ない話し、ぼくの場合、クライアントや広告主のためだけに「ぬをーー!!」と必死になることはできないし、自分のクリエイター魂のようなものに火をつけることもできない。
 
(ここで読み終えてしまった取引先は、もう二度と仕事させてもらえないだろうな……)
 
 
 
「クライアントのお客さん(エンドユーザー)がハッピーになれるかどうか」
 
これがすべての原動力になる。
 
逆にこれがないと、やる気がまったく起きない。家で寝てたい。
「真面目に仕事をする」なんて、理由がないのにできっこない。
逆に、これに関しては誰よりも真剣に考える。悩む。立ち返る。
 
 
たとえば、専門学校の広告をつくるとする。
 
そんなときに、「クライアントのお客さん」を想像してみる。
 
—-
 
受験戦争に出遅れて、美大を受験するには時すでに遅しなA君。
引っ込み思案だけど自意識ばっかり過剰。
 
A君は、とある広告/WEBサイトを目にしたことをきっかけに、親から不本意に受けさせられるところだった大学への進学をやめて、デザイナーに憧れて、その専門学校に入学する。なんとか親を説得しようとしたけど、大げんかして、なかば家出のようなかたちで上京した。学費が大学以上に高いけど、なんとか夜勤のバイトを掛け持ちしながら、通いはじめた。
 
東京にはびっくりするくらいたくさん自分に近しい人がいて、超すごい同級生がいて、ちょっとスタートは遅かったけど、死に物狂いでがんばった。(A君がんばれ)
 
卒業後、就職せずにふらふらとウダツがあがらないA君に、めずらしくパーティーの招待があった。専門時代の友達の独立開業パーティーだ。友達の門出を手放しに祝えない自分の器量のなさに愕然としつつ顔を出してみると、そこにはなんと、偶然憧れのクリエイターが!(A君!!!)
 
畏れ多くも声をかけてみて、自分の作品をその人に見せてみたら、「今度オフィス遊びにおいでよ」って言われた。そうしたら・・・・
 
—-
 
 
うーん、我ながら、なんという安直な展開・・・。
 
でも、このA君のために、がんばりたいなぁと思うのです。
 
あぁ、おこがましい。
 
 
美術、美容、教育、介護、音楽、玩具、金融……。
どんな業界でも、そこには、クライアントや広告主のお客さん(エンドユーザー)がいる。
 
その人の人生にぼくたちが、他社にはできないやり方で、関わることができる。
大袈裟なドラマは、無限に頭のなかで生産されていく。
 
もはや、想像力の商売だ。
 
その妄想を実現させるために、
企画、設計、デザイン、コピー、写真、プログラムやコード、編集がある。
 
妄想の実現っていうのはすごく難しいものなので、これらの技術には、一流の知識やセンスやアイデアが必要になる。それがうまくかみ合うと、妄想は実現し、結果としてクライアントに利益という形でお返しができる。
 
 
これ、「ペルソナ分析」とは、ぜんぜん違う。
 
ペルソナ分析は何らかの目的達成のための「手段」だけど、この場合、A君主演の安っぽいドラマは手段ではなく、すべての手段にとっての「目的」になる。(もちろん取引先に出す企画書では、手段になりすますわけだけど)
 
 
当然クライアントだって、自分のお客さんのために事業をしているわけなので、結局はぼくたちが「クライアントを見る」のではなく、「クライアントと同じ方向(エンドユーザー)を見る」ということなのだと思う。すこし偉そうな話しだけど、それくらいの気概がないといかんと思う。
 
 
 
おっとりするほどカッコいい広告も、いいかもしれない。
 
夢中になって楽しんでもらえるWEBサイトも、うらやましい。
 
でも、もしそれがカッコいい「だけ」だったり、楽しめる「だけ」のものなら、「こんな作品つくる人になりたい!」と思ってくれる人が増えることにはなるかもしれないけど、なんだかそれだけで、幅が狭い気がしてしまう。おまけにクライアントに貢献できなかったら、もっとツラい。(この辺を諸先輩方は全部やっちゃってたりするからとんでもないわけだけど…)
 
つまり、ただ面白いだけで、せっかくの「クライアントの資産」が活かされないのはもったいない。
 
クライアント企業が何年も、何十年も試行錯誤を重ねて、何百人、何千人もの人がつくってきたものすごい資産。それを舞台に極上のドラマがつくれるなんて、広告というのはなんとわがままで、贅沢な仕事だろう。
 
広告だから、そこには当然なんらかの「ゴール」がある。商品の購入だったり、サービスへの申し込みかもしれない。もちろんそれは、無視できない。でもそれはいわば、ドラマの「設定」であって、ドラマを邪魔するものではけしてない。広告としての「ゴール」がそこであったとしても、A君にとってはその「設定」は、人生の通過点に過ぎないわけであって、いかに素敵な通過点をつくれるかが、ぼくらにかかっている。
 
 
メディアの記事づくりも、もちろん同じ。
自分が好きなネタも、ときには心底好きじゃないネタも、すべて、誰かにとっての「いい通過点」になれると思える想像力が、カギをにぎっている。その後の編集スキルや進行管理能力は、後からどうにでもなると思っている。
 
先日のGunosy批判への回答として彼らが掲載した記事には、こうあった(ちなみにぼくはGunosy大好きで、尊敬しています)。
 
事実と異なるかは読者が判断すべきであり、全面的に我々が誤っていたと思っております。大変申し訳ありません。以降メディアとして情報を扱っていることに責任感を持ち中立に扱いたいと思います。

 
まったくその通りだなぁと思う。
メディアや広告をやる側に権威がある時代なんてとっくに終わっていて、それはただの「きっかけ」でありさえすればいいのだと思う。「きっかけ」をつくることすら、ものすごく難しいことだ。言論や思考は、たくさんのきっかけをキュレーションして、それぞれがつくっていく。それだけのソースをみんな持っているんだから、発信する側にできることは以前とはまったく違う。
 
 
なんだかタイピングしながら火照ってきて止まらないわけだけど(笑)、こういうことは、広告やメディアに携わる、誰もがわかっているキレイごとなのかもしれない。初歩的で青臭いから、わざわざ発言する必要もないことなのかもしれない。
 
でも、これは間違ってもキレイごとじゃない。人の人生に介入することが目的なんて、お金が一番の理由になっている人よりも、よっぽど欲深いし、エゴイスティックだ。キレイというより、欲にまみれている(笑)。さらにそのエゴを正当化するためには、人間に対する溢れんばかりの好奇心や愛情が必要になる。タフだ。
 
往々にして、ワタワタと大変になるとついこのことを忘れて、「ただ処理するだけ」になってしまう。でも、大変な時こそ、この「ドラマの実現」にしがみついていたい。理性よ。
 
 
まとまりのない駄文になってるけど、なんにせよ、そのWhyがないと、がんばれない。
 
想像力をしぼっても誰も幸せになるイメージが湧かないなら、その仕事は丁重にお断りするしかない。
一緒にがんばるチームに、その仕事をする理由を説明できない仕事は、受けられない。
(今のところそんなお仕事はなかったけど)
 
 
CINRAの場合、自社サービスもクライアントワークもあるけど、ぼくにとってのWhyはどれも同じ。
 
 
自社サービスが苦しくなって「とりあえず受託仕事やって儲けとくか」という人もいるけれど、「とりあえず」と言うほどかんたんでもないし、ただの時間の無駄づかいにしてしまうにはもったいないほど、奥が深く、魅力的な仕事と思います。
 
 
長々と、ずいぶん青臭いエントリーとなりましたが、お仕事のご依頼はコチラからどうぞ。笑
 
 
以上、新入社員のA君に向けつつ。