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2015.03.09

マネジメントは、永遠に成功しない。のかもしれない。

 
最近、少しずつメンバーが増えてきています。嬉しいことです。
チームにメンバーが増えると、たぶん10人以上とかになってくると、当然ですがマネジメントが必要になります。マネジメントって日本語に訳すとなんだろう。育成? 管理? 指導?
 
なんにせよ、ガンガン自分で仕事をする「プレイヤー」から、そのプレイヤーを育てる「マネージャー」になるというのは、これは相当に難しい。これまでの正解が不正解になるからです。
 
これまでは「(自分が)仕事をして成果をあげる」ことが正解だったのに、マネージャーになった途端、「部下に仕事をして成果をあげてもらう」が正解になる。
 
お客さんから自分への指名でお仕事をいただいたりすると、それはやっぱり1人の人間として嬉しいです。でも、マネージャーになってからそんなことが起きたら、それはもうマネージャー失格ということになります。部下に指名がくる状況をつくるのが、マネージャーとしての正解ですから。
言うは易しですよ、ほんとに。
 
 
じゃあ「マネジメントが成功している」ってどういう状況なんだろうと考えてみました。
(いろんなことの法則を考えるのが好きなんです)
 
で、行き着きました。いや、自分なりにですけど。
 
「マネジメントが成功している状態」には2つの条件がありました。
 
1. そこにいる意味を持てていること
 
2. どこに行っても通用する人材になっていること

 
 
「そこにいる意味」には2つの種類があります。1つは、自分にとっての意味。
自分にとってその会社にいる意味は、事業内容でも、お金でも、ビジョンでも、仲間でも、なんでもいいんだと思います。ともかく、その会社で生き生きと働き続けられる何らかの理由を持っている状態。まだそれを見つけていないなら、一緒に探してあげるのがマネージャーの仕事。大人!!!
 
もう1つは、会社やチームから見たときの「その人がそこにいる意味」。これにもいろんな意味があるんでしょうが、一番シンプルで、どの組織にも共通するのは「成果」でしょうね。会社である以上、成果があがってないと「マネジメントが成功している」とは言えないので。
 
 
2つめの、「どこに行っても通用する人材になっていること」はそのままで、その会社を去った後でも、またどこかのフィールドで活躍し、人から求められ、ご飯を食べていける人材であるか、ということ。その会社ありきではなく、1人の個人として社会の土俵に立てる存在に育てあげられているかということ。
 
この2つの条件なのかなー、普通だなーと思ってたんですが、さすがにすぐ気づきましたね。
この2つが両立することはありえない、と。
 
1はその会社にいることが前提になっていて、2はその会社を離れてからじゃないと証明できないっていう。。。ってことは、永遠に「マネジメントが成功している」とは言えないってことなんだなと。法則でもなんでもないじゃないかと。
 
 
「CINRAって離職率低いよねー」って言っていただくことが多いです。
 
離職率って、それパーセンテージにして数値化しちゃっていいの? 人だよ? それぞれすごい事情あるよ? って思うくらいのお子ちゃま経営者ですし、実際どういう数字のことを離職率と言うのか、よくわかっていないし、この場でググる気もありません。
 
これから人が増えていくにつれて、悲しいかな、これまでよりはその離職率というやつが上がるのは必然かもしれません。
そもそも日本はとても特殊で、1〜3年くらいで次々と転職するのが世界では当たり前、それで継続して成長できてこと立派な組織、というのもよく聞きます。
 
にしても、たしかに今いる人は自慢だし、離職率が低いということが、さっきの法則で言う1つめの状態を保てている証拠のだとしたら、それはすごく嬉しいです。
 
 
でも、その一方で(こんなこと言うもんじゃないのかもしれないけど)、そのうちどこかの誰かに、「あ、○○さん前職はCINRAなんですね。それは期待できるなー」って言ってもらいたいし、それでがっかりさせないどころか○○さんには大活躍していただいて、「おぉ、○○さんすげぇな」と言わせたい。それで「当たり前だろ」って言いたい。陰で。
 
これまた、両立しえないわがままな願いであります。。。
 

2015.01.27

なぜ食べログの評価はあんなに正しいのか?

 
先日クールジャパン関連のネット放送に出させていただき、「日本企業のグローバル化」について考える機会をもらったので、それを書きとめておこうと思います。
 
 
もうちょっとでシンガポールから東京に戻って1年が経ちます。
(やや前置き長いので読み飛ばしていただいてもw)
 
1年間海外にいた反動で、この1年は日本各地をいろいろ回っています。
北海道、山形、京都、大阪、四国4県、広島、岡山、沖縄などなど。
 
海外とか行ってる場合じゃないだろってくらいすごいですね、日本は。
 
 
■ガラパゴス化=グローバル化?
 
で、なんでこんなにすごいんだ? っていろいろ考えてたんですが、やっぱりそれもよくある話しで、島国というか、鎖国してるからなんだろうなぁと思ったわけです。
 
「世界の常識」に触れないでひきこもっているから、極端に個性のある文化が育つ。その「ひきこもり」の結果が、長い時間をかけて観光資産になったり、マンガや食のように、世界に出したときに誇れる「日本の文化」になるわけですから、不思議な話しです。
 
閉じれば閉じるほど、世界に開いていく力を持つ。
 
ということでしょうか。
 
ガラケー文化を筆頭に、日本が世界から切り離されていくことを「ガラパゴス化」と卑下したりしますが、ガラパゴス化の全てが悪いわけじゃなく、その中で「ぶっとんでスゴいもの」は国際的に評価されるということなんだと思います。
 
つまりは「ひきこもれ」。
日々聞こえてくる「グローバル戦略」とか「日本を脱出しろ!」みたいな煽りとは、ちょっとニュアンスが違うかんじです。
 
 
 
■食べログの評価が、あんなに機能しているのはなぜか?
 
じゃあ、日本が生んだ巨大Webサービスってなんだろう、と考えてみたところ、
「食べログ」と「クックパッド」が思い浮かびました。
 
これ考えてみると、どちらも「食」です。
 
日本食は世界的にも評価されているし、日本食に関するコンテンツはグローバルサービスでは網羅しきれないだろうから、この2つが国内で強いっていうのは理にかなっていそうです。
そして、どちらも海外展開はしていないです。
 
 
世界に展開している食べログ的なサービスというと、昨年日本にも上陸した「Yelp」があります。
 
Yelpは、シンガポールに住んでいたときもたまに使ってましたが、まーこれが全然信用ならない。評価高いから行ってみたらびっくりするくらいにマズかったり、そもそもクチコミの絶対数が少な過ぎる。
 
 
食べログが信用できてYelpが信用できない理由については、はじめは日本人はマメだからなんだろうなぁと思っていました。マメだから投稿数が増える。だからクックパッドは盛り上がるし、食べログの評価は信頼できる、と。
 
でも、よく考えると、もっと根本的な理由があることに気づきました。
 
日本が単一民族国家で、外国人がほとんどいないから、です。
つまり、全員味覚が同じということです。
 
 
シンガポールで、とある韓国人にこう言われました。
 
「日本食って、甘いよねー」
 
甘い???
 
そらキムチに比べりゃ甘いわ、って、その場ではスルーしたんですけど、よくよく日本食を食べるときに思い出してみると、たしかに結構甘いんですよね、和食って。ラーメンだって結構甘い。
今までそんなこと思ったこともなかった。
 
日本に住んでるアメリカ人が、
「モスバーガーは無理だよ。あれはハンバーガーじゃない」って言ってたのも思い出しました。
(ちなみにシンガポールではモスは人気)
 
そうか、文化が同じ単一民族だから、
「おいしい」「おいしくない」の基準が同じ。
だから、0〜5で評価をつけて、それがある程度の信頼を持ちうるんだなぁと。
 
多民族で成り立っているシンガポールや、世界中から人が集まるニューヨークでは、食べログやクックパッドのように、物事をキレイに相対評価することはまずできない。
 
食の場合はおいしい/まずいだけど、意見や主張も同じで、正しい/間違ってる、が共通認識としてない。だから、空気を読んでる場合じゃなく、自分の意見を言わないといけない。
 
無意識に自分が固有の文化に「ひきこもっている」ことに驚きます。
グローバルサービスって、そういう固有の事情をほぼ排除してるわけだから、すごいです。
 
 
■日本らしさを追求するか、日本を無視するか。
 
ということで、「日本で成功したサービス=世界でも成功できるサービス」というほど簡単なものではなさそうです。特に日本は、これだけ外との接触がないから余計に難しい。
 
実際に世界で活躍している日本人発のWebサービスも(メタップスさんやヌーラボさんとか)、はじめから世界を相手にしようとビジネスを展開しているケースが多いなぁという印象です。
こういう場合は、最初から日本を経由する必要がない。
 
 
まとめてみると、「グローバル化」への道は大きく2つあるのかなと思いました。
 
1. ひきこもって作られた「日本らしさ」を売りにして外貨を稼ぐ
 
2. 外国現地企業・外国現地人をマネジメントして外貨を稼ぐ
 
 
1は、マンガやアニメ、日本食ですでに事例がたくさんあります。
これはもうグローバルとか英語とかどうでもいいから、徹底的にいいコンテンツをつくるということに尽きるかと思います。
ただ、勝手にこちら側が「日本らしさ」と決めつけてしまっていないか、は注意しないといけません。そこは日本企業ではなく、アウトバウンド先の現地企業と組んでリサーチしないとです。リサーチだけじゃなく、たった数回のチャレンジで諦めない根気と資金力も必要かと思います。これが一番キツい。。。さらに、コンテンツであれば各国ごとに柔軟な権利処理もやらないと、PRすらままなりません。
 
 
2は、大企業であれば、絶賛外国企業を買いまくっているリクルートやソフトバンクです。完全に2020年オリンピック以降、勝ちにいく戦略。。。  ベンチャーであれば、日本人を雇わず、日本とはまったく別のやり方で経営していくということになると思います。完全フラットな戦いなので、かなりタフなやり方ですね。
 
どのみちを選ぶにせよ、かなりの時間と根気とお金が必要ことは間違いないです。
 
 
CINRAはというと、1と2、そこまで思い切れてないです。。。
でも、2015年は、1つ形にしてお見せできると思います!!!

2014.07.27

日本から回転寿司がなくなったら、ぼくの負けです。

回転寿司とセレンディピティの話し
 
 
ふと思い立ち、回転寿司の話しをしたいと思います。
 
どうでもいいことかと思いますが、ぼくは回転寿司が好きです。
 
寿司を安く食べられるし、わざわざオーダーをしなくてもいいというのも素晴らしい仕組みです。でも、ぼくが回転寿司を愛して止まないのは、それとは別の理由です。
 
回転寿司は、「新たな発見」を提供してくれる装置です。回っている寿司を見て、「あ、そういえばそれ食べたいな」って気づく。手に取る。食べる。うまい。幸せ。
 
これはメニューの文字面だけ眺めてもなかなかない気づきで、目の前で回っているからこそ生まれる気づきだと思います。この気づきが好きです。
 
 
しかしながら、最近の回転寿司はあんまりネタが回っていません。
これはほんとにもう、ゆゆしき事態です。
 
たしかに回り過ぎてクタクタになった寿司よりも、オーダーしてその場でつくってもらった方が新鮮でおいしい。みんながオーダーするなら、回っている寿司は廃棄されるだけの運命なので、コスト的にも非効率。だから、あんまり回さなくなる。はい、たしかにそうです。
 
でも、回っていないと、気づきはやってこないのです。
「食べたいと思うものしか食べない」ことは本当に幸せなことなんでしょうか?
 
 
これ、ここ数年インターネット界隈で話題の「セレンディピティ」というやつです。「セレンディピティとは」でググると、以下のような用語解説になってます。
 
—-

セレンディピティ(serendipity)とは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。(wikipedia)

—-
 
セレンディピティは「偶然発見能力」ですが、その偶然の発見のためには個人の能力だけでなく、回転寿司のような「仕組み」もとても大切です。
 
でも最近は、この「新たな発見」がしづらい世の中になってます。
 
周知の通り、主犯はインターネットです。本屋とAmazonの話しでよく出てきますが、やっぱり本屋に行ってふと目にした本を買うという、あの新たな出会いが大事だよね、と。
 
そもそもインターネットが生まれたときに、人と情報が出会う方法は、いくつかの可能性があったはずです。けど、Googleによってそれは「検索」という手法に一本化されました。
 
他にも方法はいろいろあったけど、淘汰されて「検索」(Google)が残ったんだと思います。理由は抜群に効率がいいから。そして、広告商品としてとんでもない可能性がある手法だから。
 
でも、普段何気なくやってますが、検索って実は超高等テクニックです。検索するためには、2つの前提が必要なんです。1つは、探したいことが明確であること。もう1つは、それが言語化されてないといけないこと。この2つができていないと、出会いゼロです。
 
好みのタイプが明確で、しかもそれを言語化できていないと彼氏や彼女と出会えないとしたら、ほとんどのカップルはまだ出会えていないと思います。少子化で、人類はとっくに滅亡してます。
 
つまり、たとえGoogleが目指す「世界中の情報にアクセスできるようにする」環境が整ったとしても、その情報にアクセスしようとする意志が必要なわけです。でも、自らの意志で、自分の世界の外に出て情報に触れようとする、あるいは触れる環境に身を置こうとする人間は、どれくらいいるんだ? と思うのです。
 
ワタクシを筆頭に、ほとんどの人間は怠惰です。生存本能的にも、無理矢理に外の世界に出て自分を危険にさらす必要などないから、人間は遺伝子的に怠惰に設定されているんだと思います(なのでぼくが怠惰なのはしょうがないことです)。
 
でも、ほんとに自分の意志「だけ」をそこまで信用していいもんだろうか? と思います。
 
社会全体としては今後も「効率の最大化」を目指すようにひた走っていくので、この新たな発見や出会いは「効率的じゃない」という理由で、どんどん減っていく方向にいくだろうと思います。
 
でも、それは困る。
寿司は、やっぱり回っててもらわないとダメなんです。
 
 
突然自社の話しですが、CINRAのミッションは「人に新たな出会いを提供する」です。この「効率」と真逆にある「新たな出会い」をつくろうということで、メディアや広告のお仕事などをやらせていただいています。
 
大学の頃、ちょうどCINRAを会社にしようかと思ったくらいのとき、「インターネットのフィールドで、インターネットっぽくない戦い方で勝負してみよう」と決めました。なかなか厳しい勝負です。
 
極論ですが、日本から回転寿司がなくなったら、ぼくたちは負けたということになります。人が「新たな発見」を必要としなくなったということになるので。いや、極端ですかね。。。
 
世界の流れに逆行しても利益は出せないし、人に喜んでもらえないのでぼくには無理です。逆行できるほど自分を過信していません。ですが、なんとかして、眠っている好奇心の扉をこじ開けるような仕事をしていきたいなぁと思ってます。
 
なんか最後の方の熱量が上がっちゃったけど、回転寿司よ永遠に、という話しでした。
 
 
 

2014.05.01

【本】グロースハッカーとは何者か?

 
久々に読んだ本について。
 
「グロースハッカー」という職業、ご存知でしょうか?
 
2013年くらいからちょこちょこ耳にするようになってきた気がしますが、ぼくの中では、「グロースハッカー? A/Bテストとかやる人でしょ?」くらいのイメージしかなく、読んでみたのがこれ。
 

『グロースハッカー』ライアン・ホリデイ
 
『グロースハッカー』ライアン・ホリデイ
※Kindle版はこっち
 
 
時代は、マーケターからグロースハッカーへ
 
今、シリコンバレーで最も競争率が高く、年収が高いと言われる職業の1つが、このグロースハッカーだそうです。Google、Facebook、Evernoteなどなど、あらゆるIT企業がしのぎを削って優秀なグロースハッカーを探しているんだとか。
 
グロースハッカーとは何か。誰のことか。
この本では、こう定義しています。
 
マーケターに代わる人。
マーケターとエンジニアのハイブリッド。
製品やサービスを劇的に成長させる人。

 
「ブランディング」や「マインドシェア」などの曖昧な言葉を使い、莫大な予算をCM制作や広告に投じるんじゃなく、できるだけお金をかけずに、その製品やサービスの「中」をひたすらこねくり回して成果を上げる人です。
 
著者のライアン・ホリデーは、アパレルブランド、アメリカンアパレルのマーケティングディレクター。旧来型のマーケターだった彼は、とある記事を読んでグロースハッキングに開眼。今や名だたるIT企業からひっぱりだこだそうです。開眼できるのがすごいです。変化。安住しない。
 
 
最初のグロースハッキングは、1990年代。
 
2011年あたりからシリコンバレーを起点に広がっていったこの「グロースハッキング」という考え方。イケイケなキーワードっぽいですが、典型的なグロースハッキングの事例は実は90年代、ネット黎明期にさかのぼるらしいです。Hotmailです。世界初の無料のウェブメールサービスですね。ダイヤルアップ接続を思い出します。ぴーごろごろ
 
で、Hotmailがはじまったとき、当然広告を打ちたかったそうです。でも無料のメールサービスだから広告なんて打ってられない。そこで考えたのが、「メールの最後に1行入れる」というグロースハック。使ってた人は見たことあると思います。「Hotmailで無料メールアカウントを作ろう」っていうやつ。このワンアイデアで、Hotmailは一躍世界に躍り出たわけです。これが、1995年の出来事。グロースハックの真髄である、「バイラル要素は、製品の中に組み込め」の好例です。
 
この事例の他にも、DropboxやEvernote、最近日本でもサービスインしたUberなどなど、事例が盛りだくさんでした。事例だけじゃなく、実際にどんなツールや手法でグロースハッキングが行われているのかを紹介してくれているので、実用的。おまけにたぶん2,3時間もあれば読める。良くも悪くもサラっとしているけど、マーケターやプランナー、サービスをつくっている人にはオススメの1冊です。
 
 
毎日1%改善すれば、1年後に38倍になる。
 
巻末には、日本版の付録として、クックパッドのプレミアム会員事業のリーダーである加藤恭輔さんが執筆しておられます。クックパッドのグロースハックの具体例が記載されていて、それだけでありがたいかんじです。そして、ここに書いてあることがとてもしっくりきたので引用させていただきます。
 

グロースハッカーの仕事は、とにかくただひたすらに地味である。・・・今日より明日、明日よりあさって。たとえ微々たる成長でも、毎日繰り返していけば、1年後、2年後、3年後には、ものすごい成長を遂げている。たとえば1日に1%ずつ改善を続けていった場合、1年後には今のおよそ38倍になっている(1.01の365乗=37.78…)。2年後には1,428倍、3年後には、なんと553,939倍。

 
1%ずつの改善を1年続ければ、38倍。これは事件だ。事件。
母数は売上でも、会員登録率でも、PV数でもなんでもいいけど、1年間、1%ずつの改善をしていったら、38倍になるなんて、どういうこっちゃという話し。自分の中で、グロースハックという仕事の価値の大きさ、インパクトが理解できたのは、この一節のおかげでした。
 
 
——-
 
 
広告業界のパワーバランスとして、CMが強いからWebは後回しであるとか、「なんでその製品にその人?」っていう文脈なしの大物キャスティングとかは、日本の特異なメディア環境を考えれば絶対になくならないし、価値があることだと思います。それに、マーケターの役割が全部グロースハッカーに替わるなんて、ありえない。おまけに、日本はシリコンバレーじゃない。こういう冷静さは、最近とても大事だなぁと思います。煽らないでいただきたい。
 
でも、グロースハックって優しいなぁと思うのは、お金がなくてもできるから。むしろ、お金をかけまくったものに勝利することがよくあるから。なんか、正義の味方っぽくていい。
 
グロースハックは、そのクールな発想が初めに生まれたわけじゃないはず。資金力がないスタートアップが、世界に躍り出るためにはどうしたら良いのか。考えに考え抜いた結果、サバイブするためのパターンとして定着してきた、後付けの言葉なんだと思う。そこがイケてる。
 
本の最後には乱暴に、グロースハックに関連するブログや講義動画へのリンク集が山ほどのっているので、英語の訓練がてらあさってみようと思います。
 
『グロースハッカー』ライアン・ホリデイ
※Kindle版はこっち
 

2014.03.31

シンガポールに1年住んでやっていたこと

 
 

 
「シンガポールに1年住んでみる」というわがままな実験が、3月末で満期を迎えます。
4月からは、東京に住まいを戻しつつ、シンガポールへは出張ベースで毎月行く形。これまでとちょうど逆の生活になります。
 
1年、やっぱり、早かった!
 
あっという間すぎて、何ができたかって、ちゃんと形になったことは、ほんのごくわずか。でも、自分が(ひいては会社が)得られたものと言えば、それはなかなかに大きなものではないかと思います。
 
出発前のこの投稿で、「創業当初のヒリヒリ感をもう一度味わいたい」なんて浮かれたことを書いていますが、たしかにヒリヒリしっぱなし。あの無力感は、なかなかこれまで味わったことのないものでした。でもその分、入ってくる情報や経験を、スポンジのように吸収していける。ありがたい時間でした。この1年を支えてくれたすべての人たちに感謝です。
 
これからもシンガポールでの仕事は取り組んでいきますが、ひとまず区切りは区切りということで、ざっくりとどんなだったか、まとめたいと思います。
 
 
シンガポールへ行くことにした理由は、大きく分けると3つでした。
 
1. ともかく行きたい!
2. 日本の外でも自分は通用するのか?
3. 今の東京・日本を外から見たらどうなのか?
 
1は置いといて……2と3、どちらにも書ききれないほど膨大な感じたこと、考えたこと、起きたことがありました。
 
 
日本の外でも自分は通用するのか?
 
なんかすごい恥ずかしい見出しになってますが、結論としては、勝負すらできなかったです。
 
その理由は、もちろんぼく自身の能力や英語力だったりもするのですが、何よりも、明確な目標が見つけられなかったからです。そもそもビジネスの「勝負」というのは、目標が達成できたかできなかったです。「<いつ>までに<なに>を<どれくらい>する」という明確な目標があって、それができたかできなかったか、ということです。そしてその目標を設定するためには、戦略が必要になるわけです。戦略が決まらないと、目標を定めようがありません。その意味でいくと、この1年、明確な戦略を立てて設定した目標に向かってがむしゃらに走ることはできなかった、というのが正直なところなのです。
 
一応、この1年間のシンガポールでの売上目標のようなものは出発前に立てていたので、力技で終盤になんとかすることができました。とりあえず「食べていけるんだな」、というのはわかりましたが、それを知りたくて来たわけじゃありません。
 
じゃあ何をやっていたのかというと、「自分・自社がこれからどこで勝負できるのかを探し回っていた」ということになります。
 
本来、海外進出ともなれば、1年も時間をかけず、数回だけの視察でバシっと方針を決めます。そしてもちろん社長ではなく、社員数名が駐在することになります。日本で開発したサービスや製品をゴリっとローカライズして、結構な投資をします。これはほとんどの場合、長期戦になるようです。一度決めたから、方針を変えることもできないので、粘り強さが必要になります。
 
便器メーカーのTOTOの社長は、「海外でのマーケット開拓は、数十年単位で見ないとだめ」と言います。ITや広告は10年もすればすべての常識が変わる世界。なのでTOTOとは違うでしょうが、いずれにせよ長期戦は中小企業としてはかなりリスキー。自分としても選びたくないやり方でした。であれば、どんなことが可能なのか? どんなマーケットで、どんなニーズがあるのか? それをきちんと船頭である自分の目で確かめていくような動き方をしたいと思いました。
 
 
具体的には、4つのことをやっていました。
 
1:グローバルクライアントと仕事はできるか?
 
シンガポールはアジアのハブですから、世界中の大企業がアジアのヘッドクオーターを置いています。彼らと仕事はできるのか? 仕事はもちろん、英語です。ネイティブが多いので、早い。仕事のレベルも、当然高い。いきなり超高いハードルです。まず無理そうでしたが、せっかくなので難しいところからやってみたかったので、移住開始からしばらく、よくわからないながらも動いてみました。
 
ひとまずオンラインマーケティングに関するセミナーやカンファレンスに行きまくって知り合いをつくり、LinkedInをフル活用。その後、プッシュしていきます。実際はプッシュしようにも言葉の壁があるので、押してるのか引いてるのかよくわからないかんじでしたが、そういうことを4月から2、3ヶ月くらいやってました。
 
大抵は「Nice to meet you」から、その次のステップに進むことができません。色んな人に助けてもらって進めたとしても、自分が考えた企画を他の人にプレゼンしていただくという情けない状況(ビジネス英語は全然無理なレベルです)。ありがたいながらも、悔しいことばっかでした。
 
もしここでやっていくとしたら、誰にとってもわかりやすい、オリジナリティの高いサービスを提供する。この一点突破が近道だと思いました。言語や文化の違いのストレスすら越えられるくらいのプロダクトがないと、「一緒に仕事しよう」ということにはならないし、フェアな関係にはなれないんだと思います。
 
 
2:Webサービス
 
7月に、「Wantgo(ウォントゴー)」というシンガポールのイベント情報を集めたWebサービスを開始しました。現在は停止中ですが、またバージョンアップして、リスタートする予定です。わずか3ヶ月で立ち上げたサービスでしたが、現地のメディアに取り上げて頂いたり、様々な局面で英語ベースでのやりとりや商談ができて勉強になりました。
まずは日本とは関係のないサービスをしようと振り切ったことで、デザイン、PR、コピーなど、フラットに他のグローバルに浸透しているサービスと比べながらやれたことがよかったです。
 
また、現地のスタートアップの人たちとのネットワークもできました。外国人が新たにサービスをはじめることに対して、この国はとにかく寛容です。シンガポール政府からの投資や助成などのサポート、日系のIT企業や投資企業の活躍ぶりも間近に見ることができました。
 
 
3:日系企業/在外日本人向けマーケットを狙う企業へのサービス提供
 
日系企業や、海外法人だけど日本人向けにもサービスを展開したい企業へのサービス提供です。これが、ぼくのような海外経験や英語力の足りない人間には、最も現実的で、最短距離で成果を出す方法です。このやり方は、残り3〜4ヶ月になった時点で一気にギアチェンして開始しました。久々のテレアポ(笑)。
 
やっぱりやりやすさがケタ違いです。いつものかんじに近い。これまでの他の動きと比べたときに、どれだけ自分が日本の慣習ややり方に頼っているのかも身にしみました。
 
海外で日本の企業がどのように戦っているのかを間近に見させていただくこともできたし、何より自分の強みは何なのかを気づかせてもらえる経験にもなりました。
 
 
4.シンガポールのカルチャーシーンとのネットワークづくり
 
これは1年間、ずっとやっていました。現地のミュージシャンやデザイナーと会い、彼らがどんな作品を作っているのか、どんなことを考えているのかを知る機会を作っていきました。今、どれくらい日本の文化が受け入れられているのかも含めて。この中のつながりから、早くも日本の仕事でコラボレーションできたりしています
 
 

 
 
4つのうちどれも、書き出したらきりがありません。ざっくりと、こういう節操のない動き方をしていました。
限られた時間で「できるだけ多くを知る/見る」が優先事項だったわけですが、「多くを見る」にはシンガポールは世界中のどの国よりも適しているんじゃないかと思います。こんなに世界中の人が集まっていて、こんなにもオープンな国は、他に行ったことも聞いたこともありません。物価の高さはネックですが……。
 
面白かったのは、上記4つとも、関わる人たちも、求められる仕事のスタイルもマナーも、全く違っていたということです。「海外での仕事」ってとかく一括りにして語られがちだし、語ってもらいたいものです。でも、考えてみたら東京だけでも生き方は多様ですから、「海外」って括ったら、それどころじゃないくらい多様なのは、よく考えれば当たり前なことなんですよね。
 
他にも、文化、政治体制、人口問題、医療や治安、インフラ、メディア環境、教育制度などなど、シンガポールと東京との比較は、本当に気づきの多いことばかりでした。「住む/仕事する」という意味では、東京しか知らなかった自分にとって、初めてちゃんと「東京ってどうなのか?」を相対化できる機会でした。それが個人的にも国内情勢的にも、このタイミングでできたことは貴重でした。この辺のことを語り出すと、もう数時間かかりそうなので、控えます。
 
 

そうこうして、1年が経ちました。
 
 
序盤はいきり立って、「海外で働くということ」の答えを探してしまっていたのですが、「んなこた知ったこっちゃない」と思えるようになるまで、少し時間がかかりました。
 
わからないことにほど、答えをくっつけたくなるものですから、それを放棄したというのは、きっと前向きな変化です。
 
もちろん、ぼくが経験できたことはシンガポールやその周辺国だけなので限定的ですが、少なくても自分が「世界」という言葉に持っていた意味不明な憧れや、曖昧模糊としたイメージは削ぎ落とされたかんじがします。
 
これからも外での仕事は続いていきます。
「勝負」を仕掛ける日も、そう遠くはないです。