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2007.01.16

アートの鼓動

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
いいかんじの滑り出しです。
年末に比べれば楽勝な今日この頃。
鉄コン筋クリート、最高でした。
TOKYOLOOP、アニメーション生誕100周年記念作品。
大御所がつくったショートアニメーションムービーのオムニバス作品です。映画館ではなくて、DVDで観たかったな。
13日、アートフェアに行く。
小山登美夫、タカ・イシイ、カイカイキキ、スカイ・ザ・バスハウス、山本現代、シューゴアーツ、ワコウなどなど、日本の名のあるギャラリーが集結してました。
神楽坂のホテルでの開催で、一般の人も入場可能。
ホテルの1室に1つのギャラリーが入ってベッドに作品を裸で置いたり、シャワールームに吊るしたりしてます。
普段美術館に飾られているような作品1つ1つに値段がついているわけです。
1万円くらいのものから200万くらいのものまで、
一体誰がどの評価軸でつけた値段かわからない。
楽しいもんです。
そもそも物の価値が実用性からつけられるものだ、という考え方自体、この富める国にはもう通用しなくなってきていると思うし、いい塩梅だ。
途中、村上隆氏がのぞきに来てて、その存在感に驚きました。
初日の午前中なのに人だらけ。
帰る頃には行列ができていました。
アート、キテるのかもしれません。
プライマリマーケットと呼ばれるギャラリーがつくるマーケットが、大きく変わりつつあるのかも。
アートマーケットが閉鎖的なのにはワケがあります。
当然CDのように、同じ作品のコピーをつくりにくいこと。
だから圧倒的に流通する総量が少ないです。
それから、どっかの知らない人に作品を売ってしまったら、そのオリジナル作品の行方は将来わからなくなります。
もしそのアーティストが美術史のコンテクストに名を残すような人になった場合、当時のオリジナル作品は大変価値が上がりますが、どこにあるのかわからないので、高値でやり取りすることはもちろん、美術史のコンテクスト自体をつくることができなくなってしまう、という問題です。
これがあるから、コレクターや美術館など、きちんと作品を保管してくれる人達にしか売れないわけです。
音楽や映画の分野では、そもそもレコードするという抜群の”再現性”があるから、かなり市場が拡張できるっていう。
「でも、このままじゃ面白くない。」
そんな鼓動をアートフェアで感じました。
こりゃいい流れだ。
しっかり波に乗らなきゃな。
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たまには観ておかないといけない景色たち。

2006.12.31

2006年のおみくじの結果

怒濤の業務も一段落。
年末を感じる余裕さえなかったけれども、
今、今年のcinraの業績を整理し終えて、やっと一年の終わりなかんじがしてきた。
大晦日はのんびり過ごそっと。
今年は本厄だったし、おみくじも大凶っていう人生史上稀に見る境遇だったけど、ほんとに素晴らしいことしか起こらなかった。
cinraや、僕自身を支えてくれるすべての人に心から感謝!
今年の目標は「良くも悪くも経営者になる」でした。
cinraを会社にするまでの3年間、お金になんか興味がなく、ただがむしゃらに情熱を燃やしてきました。
そして会社にして、情熱だけではいけないこと、お金を自分の手で生み出していくこと、人を束ねていくこと、色んなことを学んだし、まだまだ発展途上です。
2年くらい前、cinraでやっていくのか、就職をするのか、悩んだ時期がありました。
少し会社に勤めて、スキルやネットワークを充実させてから挑んでもいいんじゃないかと思ったんです。Never too lateっていう格言もあるわけだし。
ぼくの近しい人も、みんなそれを勧めていました。cinraがやろうとしていることは簡単な道のりではないわけだし、本当にぼくのことを思ってくれているからこそですね。
だけど、やりたいことがあるのに別の仕事をしても、そこで得た経験は、「ま、俺はやりたいことが他にあるからいいや」的な考えで、何事にも本気になれない。
色んなことが本当の意味で自分の実にならないんじゃないかと思いました。
それなら、失敗してもいいから「今」がめちゃめちゃ充実している方がいいじゃんね、と思ってcinraでやっていくことを選びました。
起業して8ヶ月経った今、あの時思った通り、一つ一つの経験や出会いが豊かにぼくの中に吸収されていって、今では当時心配してくれていた人たちはもちろん、もっと多くの人たちがcinraやぼくを応援してくれています。
この8ヶ月は、cinraを個人事業から株式会社へステップアップさせてくれました。
ぼく自身も、今見渡せる限りで「経営者」になれたと思うし、色んな人たちのおかげで以前に増す自信がつきました。
来年は、ぼくの力と潜在能力を、躊躇なしに全部解放したいと思ってます。
10年以上待ちに待っていた、脱皮です。

2006.12.05

理不尽だと思う

今日、晩飯食べながらnews23を見てたら堀江さんが出てきた。
「未来」とか「新しい」とか「希望」っていう言葉っていうのは、連発し過ぎると一気に興ざめです。
言葉が宙に浮いて、うさんくさくなります。
別に堀江さんがどうこう、っていう話しじゃなくて、単純に。
その後、例の「交通事故きっず」についてのニュースだった。
いっつも同じように思っていることなんだけど、たぶんああいうひどいことをするのは多くても10万人に1人くらいなものだろうと思う。
一方、テレビを見ているのは、残りの99999人。
その人達がみんな同じ情報を受け取って、10万分の1の確率の情報を無理矢理発信される。
で、「世の中ぶっそうだなぁ」とか「世の中暗い事ばっかりだなぁ」とか思ったりする。
それがスタンダードになって、危機管理欲求が高まって、防犯グッズがバカ売れしたりする、っていうのはまぁいい。
それより、世の中ってネガティブなんだ、っていうのが、実際は10万分の1の事実なのに、絶対視されちゃう。
それっておかしい。
だから、枠の外に出るのが危なっかしく思えて、変に保守的になってしまうわけだ。
森達也さんの言葉を思い出す。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
名言です。
森達也HP

2006.12.04

水を得たサカナ

1ヶ月以上、滞っていました。笑
先週、次号のマガジンの取材に行ってきた。
小説家の星野智幸さん。今、早稲田で教鞭をとっていらっしゃいます。
星野さんのことを知ったのは高校生の頃。
「僕らの智慧の果てるまで」というSTUDIO VOICEの特集に触発されて(前にも先にも、これ以上のスタジオボイスはありません。最高の一冊)、そこでインタビューしていた宮内勝典さんという方にアポを取り、高校の講演会に来てもらったのでした。
その後、宮内さんのHPの掲示板で色んな方と交流をさせていただいて(その頃はまだネットが悪用されることは少なかったのです)、そのうちの1人が、この星野さんでした。
もう5,6年も前の話しなのに、星野さんはぼくのことを覚えていてくださって、取材の依頼に快くOKをいただいたのでした。
大変物腰の柔らかい方で、且つ言葉を選んですばらしい受け答えをしてくださいました。
とてもいい記事になりそうです。
最近はインタビューに自分で足を運ぶことが少なくなってきていて、みんなスタッフが担当してくれています。
ぼく自身は本当に久しぶりだったのですが、やっぱり最高です。取材は。
たくさんの栄養をいただきました。
この栄養を、価値として世の中に提供するのがぼくの役目です。
そして、それを経済活動に結びつけるのが、ぼくの目標です。
まずは、1つ1つ。
次号のcinra magazineで、自信をもって思いっきり発信します。
1月20日発行です。

2006.10.28

レンタル屋と結婚式とweb2.0とコーヒー

生まれてはじめて、借りたDVD(ビデオ)を返し忘れた。
次号のマガジンの企画のために借りてきたものだったんだけど、
頻繁にレンタル屋を使っていた暇な学生時代から
ずいぶんと一週間の間隔が短くなったらしく、
レンタルしたものを返しに行く間隔がずれちゃってたのかな。
「時間に翻弄されるんじゃなく、コントロールできるようにならないといかんよ」
といつものように自分に苛立っていた矢先に、友人から結婚式の招待状が送られてきた。
間接的に友人が結婚したとか、子どもが生まれたって話はちらほら出始めていたけど、
自分に送られてきたのははじめてだ。
それも大学時代ずいぶんと時間を共有してきた友達ということもあって、ドキっとする。
24歳とは、もうそういう時期なのです。
レンタル屋で申し訳なさそうに延滞料金払ってる場合じゃありません。
レンタルされる側にならなければならない時期なのです(なんだそりゃ)。
女性の結婚ラッシュ第一期は25歳らしいし、これから続出なのかもな・・・
それはそうと、女性は男性を招待しちゃいけないっていうのは、もう古い時代の話なのか?
その辺はさっぱり無知蒙昧だ。
話は180°変わる。
糸井重里がweb2.0について話している。
ぼくが最近「web2.0」にがっつけないのは、それがあまりにもトレンドみたいになってしまっていて、あたかも数年前のネットバブルを彷彿させるからなのだけど、やっぱり腑に落ちないのはこういう理由だったわけだ。
メディアはメッセージである、と言ったのはマーシャル・マクルーハンだけど、その前に使う人間がいなければメディアは成立するはずがない。受け取る側と発信する側の考え方が何よりも優先されるべきなのです。
コーヒーはとってもおいしい飲み物だけれども、それをコーラだと思って飲んだあの違和感とやるせなさに近いものがあります。
もちろん、それをはじめからコーヒーだと思わせるのが時代の流れであり、モノを作る側の力なのだと思いますが、
「これがハヤリだからさ!」
と言ってほんとはコーラを飲みたい人にコーヒーしか出さないのは間違いなわけだし、井手君がかわいそうです(井手君はいつもコーラを飲んでいます)。
そういう気持ち悪さは、テレビCMなんかの広告にも言えることで、
やたらとかっこいいCMは「広告批評」なんかに掲載されて、チヤホヤされるし、ぼくもそういうのが好きなわけですが、
BOOK-OFFとかカッパ寿司のCMのダサさが間違いなのかと言えば、「広告」としてはあながち間違ってはいないんじゃないかと思います。
その意味で、携帯の番号ポータビリティ開始直前〜今に続く各社のえげつない広告は、スカっとしました。
デザインで攻めていたauが
「顧客満足度ナンバーワン! さあ、いらっしゃい!!」
このなりふり構わないがっつきっぷり、悪くないんじゃないかと思います。