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2007.02.25

アルスエレクトロニカ

アルスエレクトロニカ
メディアアートをやっている人やエレクトロニカ系の音楽をやっている人ならご存知だと思いますが、年に一回、テクノロジーやアートに携わる人々が一同にヨーロッパに会する、世界最大の電子芸術祭です。
フェスティバルとグランプリアワードが開催されます。
言ってみれば、今開催中の文化庁メディア芸術祭の全世界版ってとこなのかな。行ったことないからわからないけど、影響力はかなり大きい。
「いやぁ、すげぇなぁ」なんて毎年人ごとのように思っていたんだけど、突然2007年のアルスエレクトロニカの関係者からメールをいただきました。
アルスエレクトロニカの”International Advisory Board”の1人が、cinraを推薦してくれたらしく(誰だろう?)、”デジタルコミュニティー部門”でノミネートされたようで、是非応募してほしいというご連絡でした。
もちろん、応募をしてから選考なんだと思うけど、嬉しいお知らせでした!
うまく残れば、9月にオーストリアで開催されるフェスティバルと授賞式に出席できる。
受賞したり賞金もらったりっていうのが目的ではなく、そこに集まる人達にcinraを知ってもらえること、そしてそこから色んな出会いが待っているであろうということ。こりゃワクワクします。
こういう形でcinraのやっていることを海外から訴求していくっていうのは以前から考えていた事。自分の想定を越える方法論に出会えるのは、貴重な体験です。
cinraは自社メディアがバイリンガルではないし、「いやぁまだまだだろう」と思っていたのですが、今回の結果がどうあれ、今後はそういうこともしっかり視野に入れて活動していきたいと思いました。
最近、色んなことが起こってます。
嬉しいこと、大変なこと、たくさんです。
一つ一つをゆっくり考える余裕がなかった分、
自分が見落として来たものも大きいと思います。
走りながら、辺りをしっかり見渡せる力を養っていきたい。
そいで、みんなで笑いながら、完璧な仕事をしていきたい。
色んな意味で、分岐点です。

2007.02.25

タイに行きました

mixiにアップして、すっかり自分のブログでアップし忘れました。
先々週、一瞬、タイに行って来ました。
今年の旅行衝動を燃焼。
素敵な時間でした。
携帯・ネット完備だったものの、やはり仕事には無理がある。
関係各位、ほんとご迷惑おかけしました!
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2007.02.05

乾燥する記憶にフェルゼアを。

先週について、一息ついたのでサクっとまとめてみます。
日曜日、
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ムサビの修了展を観に行く。知り合いが修士を卒業するタイミングだったので、遠路はるばる。あのあたり(鷹の台とか小川とか)まで中学高校と6年間通っていたかと思うと、ほんとにゾッとする。笑。 遠すぎじゃよ・・・。
学部と修士の圧倒的な差を感じた。
「個」がいかに作品として立っているか。それは自分と社会に向う両方のベクトルが、バランスよく模索されている結果なのだろうと思う。
内面でものすごい格闘をしているにも関わらず、学部の時よりもみなさん丸くなった印象を受けた。非常に感じが良い。うん、大人だ。
月曜日、
打ち合わせラッシュ。
素敵な出会いもありつつだけど、またしても世の中の非効率を感じた。これを最適化した場合、結局はcinraにも良くないことが起きることが分かって、落胆する。まずは、自分が身をもって行動すべし。
火曜日、
某案件でARTiTの小崎さんとアジールデザインの佐藤さん、中澤さんと打ち合わせ。うまくいけば、cinraにとってはすごく嬉しいプロジェクトが始まります。
水曜日、
cinraのwebサイト大規模リニューアルの会議。
これもうまくいけば(いかせるけど)、面白いことができそうです。いざ、国境越え!
木曜日、
某案件の撮影に参加。
撮影の現場っていうのはすごい緊張感です。
デザイン業務は内勤が主なので、この現場のスピード感にはいつもハっとさせられます。みんなで1つのものを楽しみながらつくる。素敵です。
金曜日、
お世話になりまくっているシフトブレインとの懇親会。タクマさんとヨコヤマさんのバースデイパーティーでもありました。サプライズ。おめでとーございまーす!
監獄居酒屋、初めて行ったけど、普通にヒくね、あれは。笑
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土曜日、マガジンのデザイン会議&餃子対決の日。
詳しくは、5日夜配信のcinraメルマガにて。
今回からメルマガリニューアルしたんで、是非見てやって下さい!
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ただ一週間を追ってみました。
物忘れがいよいよ深刻になってきたので、こういう要約的なまとめをすると色んな大切なことが抜け落ちて、乾燥したかんじになっちゃうけど、全部忘れるよりはマシってもんです。
あと、フェルゼアは、冬のかゆみ付き乾燥肌の救世主です。

2007.01.30

すっかり遅くなりました。マガジン発行です。

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色んなところで書いていて、自分のブログでお知らせするのをすっかり忘れてましたが、cinra magazine vol.12を、1月20日に発行しました!
今回は、かなり成長しました。
今までで、一番納得ができたし、全体としても編集力がかなりついたと思います。
で、2月10日発売のバイリンガルデザイン雑誌「+81」にもニュースとして掲載していただけることになりました。
それから、マガジンのvol.2(今や懐かしい!)でインタビューさせていただいたバイリンガルアート雑誌「ARTiT」と東京のイベント情報を網羅したwebサイト「REALTOKYO」の編集長である小崎哲哉さんに取材していただき、先日ページが公開されました。よろしければ是非ご覧下さいまし(ナビの「COLUMNS」から見られます)
相変わらず写真写り、気になります。笑
その他にも色んな人のブログで話題になってくれている。
こういうのは嬉しいことです。
ちなみに、今回自分がエディターとして担当したのは、
ART>特集:ポスト・アンダーグラウンド>CINRA Select Artists
で紹介した奈良エナミさんの原稿。
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それから
MOVIE>特集:ヴィジュアルドキュメンタリー
企画導入文小説家の星野智幸さんのインタビューです。
基本的にはこの媒体でのぼくの仕事はコンテンツを管理したり、広告営業したり、発行人としての動きをしているので、成長するほど自分が直で担当できるところが少なくなってきて寂しいんですが、今回はMOVIEを中心にわりと関わりました。
もう次号に向けて動き出していますが、
楽しくてしょうがない。
この感覚、久しぶりかな。
どんなに忙しくても、キャッキャしてます。笑

2007.01.24

悲しい出来事

中学高校と同級だった友達が先週亡くなった。
2年弱、脳腫瘍に苦しみ、度重なる手術やリハビリをがんばっていた。そして先週日曜、お通夜に行ってきた。
ぼくは、たぶん異常なほど、過去を覚えていない。
ほんの断片しか記憶がなくて、いつも同窓会の話題についていけなくなる。
「あのとき杉浦が〜〜って言ってさー」
と言われても、90%覚えていない。
ここまでいくと、無責任すぎる。
そんなぼくの彼との思い出も、やはり断片的で少しだけ。
彼は中学1年にして170cmを越える長身だった。
違うクラスだったんだけれども、今と同じく色んな意味で背伸びをしていた当時のぼくを、彼は生意気だと思ったらしく、上履きをぶつけてきた。
多少キレて、どうしてやろうかと思っていたら、すぐにあやまってきてくれて、ちょっと仲良くなった。これがはじまり。
その後、ぼくは何度か彼を傷つけたように思う。
それでも彼はぼくをずっと慕ってくれた。
何かと「太一はすごい」と言ってくれて、ぼくはただ彼の言葉をもらっていただけだった。
青春というものが誰にも訪れるものなのだとしたら、ぼくの場合、中学3年の頃がそう言えるんだと思う。ひたすら大はしゃぎした。裏切り。友情。恋愛。色んなものが凝縮した時期だった。
その年の体育祭でぼくと彼は違うクラスで団長同士だったんだけど、終わった後に抱きしめてくれ、一緒に涙したのを覚えている。
(普通の学校じゃバカだと思われるけど、ぼくが行ってた学校はちょっと特殊だったんだ)
彼と離れて(高校を卒業して)、大学ももうすぐ卒業という頃、彼の病気のことを聞いた。
友達と病院に行くと、頭痛がするのに、いつも通り明るく、ぼくと話しをしてくれた。
そしてそれから1年後にお見舞いに行った時は、少し言葉が弱くなったようで、物を言葉で認識したり、自分の思っていることを言葉にするのに困難が生じているようだった。
帰り際、ぼくは彼と握手をした。
「がんばれよ」と言うと、彼は目をものすごく大きく見開いて、力強くうなずき、ぼくの手をギュっと握り返してきた。
そしてそれから半年くらい経った先週、
仕事中に彼が亡くなったことを母から聞いた。
リハビリがうまくいってると聞いていただけに、ワケがわからず、放心した。
悲しみはこみ上げてこなかった。
全く実感が湧かないんだ。
それから、ぼくはただ、彼の葬儀に1人でも多くの人が来てくれるように、半ば事務的に、片っ端からこの知らせをもう何年も会っていない友達に連絡し続けた。
当日、みんなが呼びかけてくれた甲斐あって、たくさんの人が来てくれた。
彼の人望を感じた。
まず、お焼香をした。
しばらくして、少し落ち着いた頃に、彼の顔を見に行った。
もうダメだった。
何が悲しいのかもわからないし、本当はちっとも悲しくなかったのかもしれない。
ただ、涙がひっきりなしに出てきて、嗚咽した。
彼のお母さんはぼくを抱きしめてくれた。
情けなさすぎる。
ほんとはぼくが抱きしめてあげないといけないじゃないか。
でも、もう言葉も出せないくらいヒクヒクで、
「はんばって・・くら・はい(がんばってください)」と言った。
根拠がないとは、このことだった。
ぼくが彼とどれくらい仲が良いとか、どれくらい傷つけたとか、どれだけお互いのことを考えていたとか、そんなことはどうでもいいことだった。
ぼくはただの「存在」になっていた。
その存在が、意味のわからない感情か、出来事か、今でも何でかわからないけど、やたらと涙していた。
勝手なことだと今も思う。
こんなことがなければぼくは彼とはそこまで頻繁に会わなかっただろうし、お互いずっと生きていたとして、一度も会わなくたってそれはそれで問題なくお互いの人生を全うしたんじゃないかと思う。
彼がこの若さで逝ってしまったがために、こういう形で再会することになって、ぼくは自分の脳みそが強制的に(あるいは義務的に)行なう記憶のフィードバックを感知して、彼の存在がなくなってしまったことを認識する。
その運動で、ぼくははじめて悲しみを知る。
そんな自分勝手でオートマチックな悲しみなんて、いらない。
ただ、彼ががんばって自分の人生を生きようとしていたことと、それをご家族が必死で応援していらした姿を目にして、巨大な悲しみと悔しさを感じる。
神様を憎むわけでもなし、誰を憎むわけでもない。
強いて言えば、死ぬことやお別れに特別な感情を付与してしまった人間に、言い知れぬ愛おしさと憎しみを感じる。
いつだってそうだ。
死は、生を自覚させる。
それから、空を見る度に彼の笑顔とか、悔しそうな顔を思い出す。
残ったぼくは、ただ懸命に生きようと思っている。