RECENT

2016.05.09

非・インターネット的なものが面白い

 
「最近なんか面白いのあった?」と、いろんな人におすすめを聞くのが趣味です。観光地、レストラン、本、映画、テレビ番組などなど。自分の選択のバリエーションに飽きてくると、「自分では絶対に選ばないものを選びたい」欲求がでてきます。アンテナを揺さぶりたくなる。
 
そんなこんなで知人におすすめを聞いていたところ、興味深い偶然があったのでそのことを書こうと思います。
 
おすすめされたものが同じだったというならありがちですが、そうではなく、複数の人からおすすめされたものの「傾向」が、とてもよく似ていたんです。
 
 
まず、ライターのT氏のおすすめ。ぼくは普段テレビを見ないので、芸能界に関する連載をよく書くT氏に、最近おすすめのテレビ番組を聞いてみました。で、これを勧められました。
 
家、ついて行ってイイですか? | テレビ東京
 
最近、人気でゴールデンに移行したようです。簡単に言うと、終電を逃した人(ほとんどが酔っ払い)にお願いして、家についていき、お宅訪問&その人の半生をインタビューする、という番組です。対象は、いわゆる「フツーの人」。なんでもない人の人生を掘り下げていくと、泣けるストーリー、ほっこりするストーリー、共感するストーリーが湧き出てきます。もちろん、取材した全員をオンエアしているわけじゃないし、いろいろ編集もされているのでしょうが、なんなんでしょう、毎週録画して観てしまいます。
 
***
 
次に、弊社編集者のNに、おすすめの本を聞いたところ、この2冊を勧められました。
 
断片的なものの社会学/岸政彦
danpen
 
 
あなたを選んでくれるもの/ミランダ ジュライ
miranda
 
どちらも、ものすごくざっくり言ってしまえば「フツーの人」に焦点をあてた本です。
 
岸政彦さんは、とても丁寧に、暖かい温度で、その言葉で傷つけられる人がいないように、選び抜かれた美しい言葉を綴る方です。普段生きていると抜け落ちてしまうもの、忘れ去られてしまうものにフォーカスをあてています。
 
———–

どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、胸をかきむしられるような気持ちになる。<中略>普段は他の人々の目からは隠された人生の物語が、聞き取りの現場のなかで姿を現す。<中略>だが、実はこれらの物語は、別に隠されてはいないのではないか、とも思う。それはいつも私たちの目の前にあって、いつでもそれに触れることができる。私たちが目にしながら、気づいていないことはたくさんある。(本書25ページから引用)

———–
 
 
2つめのミランダ・ジュライのこの作品は、アメリカの『ペニーセイバー』という地元のチラシに登場する見知らぬ一般人にミランダが突然電話をし、会いに行って、その人にインタビューをするというドキュメンタリーです。チラシにのせるくらいなので、家にパソコンがないか、インターネットを普段しない人たちばかり。ミランダ・ジュライが、映画の脚本そっちのけで、このインタビューに夢中になります。
 
———–

わたしは『ペニーセイバー』の売り手たちに「あなたはパソコンを使いますか?」としつこく質問しつづけた。ほとんどの場合答えはノーで、他のことについては山ほど言うことのある売り手たちも、これについては、この不在については、語る言葉を持たなかった。もしかしたらわたしは、自分がいまいる場所ではパソコンは何の意味ももたないのだということを再確認したくて、そしてそのことのすばらしさを自分の中で補強したくて、その問いを発しているのかもしれなかった。もしかしたらわたしは、自分の感覚や想像力のおよぶ範囲が、もう一つの世界、つまりインターネットによって知らず知らず狭められていくのを恐れていたのかもしれない。(本書165ページから引用)

———–
 
***
 
これらの3作品に共通しているのは、「フツーの人」についての物語(=記憶/記録されえなかった情報)を扱っているということです。Googleで検索しえないもの(=検索ワードとして想起されえないもの)、Facebookでつながっていない見知らぬ無名の人の物語にふれさせてもらえます。(そういう「検索じゃたどり着かない情報との出会いが好きです」的な話しは前にここに書いてました→『日本から回転寿司がなくなったら、ぼくの負けです。』
 
つまり、非・インターネット的なのです。
 
知らない人なのにかけがえなく愛おしく、どこにでもありそうなのにそこにしかなく、個別の物語なのに同時代性がみえてくる、そういう物語たちです。これから、こういう情報・物語はどんどん人気が出るんじゃないかと思います。
 
新たな文化は、自然発生的に、自立して生まれることはほとんどありません。新たな文化は常に、メインカルチャーのカウンターとして生まれる。腐敗した政治がパンクを生んだし、オフィスに縛られるワークスタイルがノマドを生んだし、非効率な業界構造と余剰の資源がAirbnbやUberを生みました。行き過ぎたメインカルチャーに均衡を促すかのように、カウンターカルチャーは生まれます。同じように、インターネットが加速すればするほど、非・インターネット的なカルチャーも生まれるはずで、それについて雄弁に語っているのが、この3作品なのだろうと思います。
 
少しおおげさに言えば、これから10-20年で起きるインターネットやテクノロジーにまつわるダイナミックな社会変化のことを思うと、それに均衡を促せるくらいの新しい文化が、かなり緊急に、強烈に必要なはずで、CINRAはそういう形で社会と関わって、貢献したいなぁと思っています。