05 ETC…

2007.04.16

ここ1ヶ月の雑感

雑な言い方をしてしまうと、色んなことがあって、大変なこともあるけれど、ともかく仕事がめちゃめちゃ楽しい。
成長は自覚するものじゃなくて、
数字に表れたり、人に言われてはじめて「成長した」と言えるものなのだと思うけど(J-POPの歌詞みたいだな、笑)、たまには自覚してみるのも悪くない。じゃないと次のステップに行けないのです。
cinraは、目指していることが社会的な分、他の企業にはない揺るぎないパワーがあるし、それを支える優秀であたたかい仲間が沢山いる。
一方で、社会的な自己実現度が高いからこそ、ビジネスとしての実現度を突き詰めようとしないことがままあります。それじゃあいかんのです。
大企業やベンチャー企業、組織的な企業、個人の力にみなぎる企業。色んな方々にお会いして刺激を受けながら、cinraはその部分でも人一倍がんばって、自分やみんなの生産性を常に意識していかなくちゃいけない組織なんだと思う。
だから平日は、鬼気迫り、がむしゃらに仕事する。生半可な勢いじゃダメ。
で、土曜日はパーっと気を抜いてスタッフや周囲の人達と遊んだり打ち合わせをしたりする。
そして日曜日はおいしいご飯や大好きなケーキを食べて、
「やっぱりここのタルトは最高だよねー」
とか言いつつ、来週への元気をもらう。
このリズムで、この1ヶ月を流してみました。
悪くないので、もう少し続けてみようかと思ってます。
気づいたらちょっとずつ暖かくなってきてる!
あ、先日東京都現代美術館(MOT)の「マルレーネ・デュマス 〜ブロークン・ホワイト〜」の記者会見+プレス内覧会に行ってきましたが、これはいいです。
20日に発行するcinra magazineでこの展示の招待券を読者プレゼントにいただいたので、是非応募してください!
東京都現代美術館HP

2007.02.05

乾燥する記憶にフェルゼアを。

先週について、一息ついたのでサクっとまとめてみます。
日曜日、
musabi.jpg
ムサビの修了展を観に行く。知り合いが修士を卒業するタイミングだったので、遠路はるばる。あのあたり(鷹の台とか小川とか)まで中学高校と6年間通っていたかと思うと、ほんとにゾッとする。笑。 遠すぎじゃよ・・・。
学部と修士の圧倒的な差を感じた。
「個」がいかに作品として立っているか。それは自分と社会に向う両方のベクトルが、バランスよく模索されている結果なのだろうと思う。
内面でものすごい格闘をしているにも関わらず、学部の時よりもみなさん丸くなった印象を受けた。非常に感じが良い。うん、大人だ。
月曜日、
打ち合わせラッシュ。
素敵な出会いもありつつだけど、またしても世の中の非効率を感じた。これを最適化した場合、結局はcinraにも良くないことが起きることが分かって、落胆する。まずは、自分が身をもって行動すべし。
火曜日、
某案件でARTiTの小崎さんとアジールデザインの佐藤さん、中澤さんと打ち合わせ。うまくいけば、cinraにとってはすごく嬉しいプロジェクトが始まります。
水曜日、
cinraのwebサイト大規模リニューアルの会議。
これもうまくいけば(いかせるけど)、面白いことができそうです。いざ、国境越え!
木曜日、
某案件の撮影に参加。
撮影の現場っていうのはすごい緊張感です。
デザイン業務は内勤が主なので、この現場のスピード感にはいつもハっとさせられます。みんなで1つのものを楽しみながらつくる。素敵です。
金曜日、
お世話になりまくっているシフトブレインとの懇親会。タクマさんとヨコヤマさんのバースデイパーティーでもありました。サプライズ。おめでとーございまーす!
監獄居酒屋、初めて行ったけど、普通にヒくね、あれは。笑
gyouza.jpg
土曜日、マガジンのデザイン会議&餃子対決の日。
詳しくは、5日夜配信のcinraメルマガにて。
今回からメルマガリニューアルしたんで、是非見てやって下さい!
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ただ一週間を追ってみました。
物忘れがいよいよ深刻になってきたので、こういう要約的なまとめをすると色んな大切なことが抜け落ちて、乾燥したかんじになっちゃうけど、全部忘れるよりはマシってもんです。
あと、フェルゼアは、冬のかゆみ付き乾燥肌の救世主です。

2007.01.24

悲しい出来事

中学高校と同級だった友達が先週亡くなった。
2年弱、脳腫瘍に苦しみ、度重なる手術やリハビリをがんばっていた。そして先週日曜、お通夜に行ってきた。
ぼくは、たぶん異常なほど、過去を覚えていない。
ほんの断片しか記憶がなくて、いつも同窓会の話題についていけなくなる。
「あのとき杉浦が〜〜って言ってさー」
と言われても、90%覚えていない。
ここまでいくと、無責任すぎる。
そんなぼくの彼との思い出も、やはり断片的で少しだけ。
彼は中学1年にして170cmを越える長身だった。
違うクラスだったんだけれども、今と同じく色んな意味で背伸びをしていた当時のぼくを、彼は生意気だと思ったらしく、上履きをぶつけてきた。
多少キレて、どうしてやろうかと思っていたら、すぐにあやまってきてくれて、ちょっと仲良くなった。これがはじまり。
その後、ぼくは何度か彼を傷つけたように思う。
それでも彼はぼくをずっと慕ってくれた。
何かと「太一はすごい」と言ってくれて、ぼくはただ彼の言葉をもらっていただけだった。
青春というものが誰にも訪れるものなのだとしたら、ぼくの場合、中学3年の頃がそう言えるんだと思う。ひたすら大はしゃぎした。裏切り。友情。恋愛。色んなものが凝縮した時期だった。
その年の体育祭でぼくと彼は違うクラスで団長同士だったんだけど、終わった後に抱きしめてくれ、一緒に涙したのを覚えている。
(普通の学校じゃバカだと思われるけど、ぼくが行ってた学校はちょっと特殊だったんだ)
彼と離れて(高校を卒業して)、大学ももうすぐ卒業という頃、彼の病気のことを聞いた。
友達と病院に行くと、頭痛がするのに、いつも通り明るく、ぼくと話しをしてくれた。
そしてそれから1年後にお見舞いに行った時は、少し言葉が弱くなったようで、物を言葉で認識したり、自分の思っていることを言葉にするのに困難が生じているようだった。
帰り際、ぼくは彼と握手をした。
「がんばれよ」と言うと、彼は目をものすごく大きく見開いて、力強くうなずき、ぼくの手をギュっと握り返してきた。
そしてそれから半年くらい経った先週、
仕事中に彼が亡くなったことを母から聞いた。
リハビリがうまくいってると聞いていただけに、ワケがわからず、放心した。
悲しみはこみ上げてこなかった。
全く実感が湧かないんだ。
それから、ぼくはただ、彼の葬儀に1人でも多くの人が来てくれるように、半ば事務的に、片っ端からこの知らせをもう何年も会っていない友達に連絡し続けた。
当日、みんなが呼びかけてくれた甲斐あって、たくさんの人が来てくれた。
彼の人望を感じた。
まず、お焼香をした。
しばらくして、少し落ち着いた頃に、彼の顔を見に行った。
もうダメだった。
何が悲しいのかもわからないし、本当はちっとも悲しくなかったのかもしれない。
ただ、涙がひっきりなしに出てきて、嗚咽した。
彼のお母さんはぼくを抱きしめてくれた。
情けなさすぎる。
ほんとはぼくが抱きしめてあげないといけないじゃないか。
でも、もう言葉も出せないくらいヒクヒクで、
「はんばって・・くら・はい(がんばってください)」と言った。
根拠がないとは、このことだった。
ぼくが彼とどれくらい仲が良いとか、どれくらい傷つけたとか、どれだけお互いのことを考えていたとか、そんなことはどうでもいいことだった。
ぼくはただの「存在」になっていた。
その存在が、意味のわからない感情か、出来事か、今でも何でかわからないけど、やたらと涙していた。
勝手なことだと今も思う。
こんなことがなければぼくは彼とはそこまで頻繁に会わなかっただろうし、お互いずっと生きていたとして、一度も会わなくたってそれはそれで問題なくお互いの人生を全うしたんじゃないかと思う。
彼がこの若さで逝ってしまったがために、こういう形で再会することになって、ぼくは自分の脳みそが強制的に(あるいは義務的に)行なう記憶のフィードバックを感知して、彼の存在がなくなってしまったことを認識する。
その運動で、ぼくははじめて悲しみを知る。
そんな自分勝手でオートマチックな悲しみなんて、いらない。
ただ、彼ががんばって自分の人生を生きようとしていたことと、それをご家族が必死で応援していらした姿を目にして、巨大な悲しみと悔しさを感じる。
神様を憎むわけでもなし、誰を憎むわけでもない。
強いて言えば、死ぬことやお別れに特別な感情を付与してしまった人間に、言い知れぬ愛おしさと憎しみを感じる。
いつだってそうだ。
死は、生を自覚させる。
それから、空を見る度に彼の笑顔とか、悔しそうな顔を思い出す。
残ったぼくは、ただ懸命に生きようと思っている。

2006.12.31

2006年のおみくじの結果

怒濤の業務も一段落。
年末を感じる余裕さえなかったけれども、
今、今年のcinraの業績を整理し終えて、やっと一年の終わりなかんじがしてきた。
大晦日はのんびり過ごそっと。
今年は本厄だったし、おみくじも大凶っていう人生史上稀に見る境遇だったけど、ほんとに素晴らしいことしか起こらなかった。
cinraや、僕自身を支えてくれるすべての人に心から感謝!
今年の目標は「良くも悪くも経営者になる」でした。
cinraを会社にするまでの3年間、お金になんか興味がなく、ただがむしゃらに情熱を燃やしてきました。
そして会社にして、情熱だけではいけないこと、お金を自分の手で生み出していくこと、人を束ねていくこと、色んなことを学んだし、まだまだ発展途上です。
2年くらい前、cinraでやっていくのか、就職をするのか、悩んだ時期がありました。
少し会社に勤めて、スキルやネットワークを充実させてから挑んでもいいんじゃないかと思ったんです。Never too lateっていう格言もあるわけだし。
ぼくの近しい人も、みんなそれを勧めていました。cinraがやろうとしていることは簡単な道のりではないわけだし、本当にぼくのことを思ってくれているからこそですね。
だけど、やりたいことがあるのに別の仕事をしても、そこで得た経験は、「ま、俺はやりたいことが他にあるからいいや」的な考えで、何事にも本気になれない。
色んなことが本当の意味で自分の実にならないんじゃないかと思いました。
それなら、失敗してもいいから「今」がめちゃめちゃ充実している方がいいじゃんね、と思ってcinraでやっていくことを選びました。
起業して8ヶ月経った今、あの時思った通り、一つ一つの経験や出会いが豊かにぼくの中に吸収されていって、今では当時心配してくれていた人たちはもちろん、もっと多くの人たちがcinraやぼくを応援してくれています。
この8ヶ月は、cinraを個人事業から株式会社へステップアップさせてくれました。
ぼく自身も、今見渡せる限りで「経営者」になれたと思うし、色んな人たちのおかげで以前に増す自信がつきました。
来年は、ぼくの力と潜在能力を、躊躇なしに全部解放したいと思ってます。
10年以上待ちに待っていた、脱皮です。

2006.12.05

理不尽だと思う

今日、晩飯食べながらnews23を見てたら堀江さんが出てきた。
「未来」とか「新しい」とか「希望」っていう言葉っていうのは、連発し過ぎると一気に興ざめです。
言葉が宙に浮いて、うさんくさくなります。
別に堀江さんがどうこう、っていう話しじゃなくて、単純に。
その後、例の「交通事故きっず」についてのニュースだった。
いっつも同じように思っていることなんだけど、たぶんああいうひどいことをするのは多くても10万人に1人くらいなものだろうと思う。
一方、テレビを見ているのは、残りの99999人。
その人達がみんな同じ情報を受け取って、10万分の1の確率の情報を無理矢理発信される。
で、「世の中ぶっそうだなぁ」とか「世の中暗い事ばっかりだなぁ」とか思ったりする。
それがスタンダードになって、危機管理欲求が高まって、防犯グッズがバカ売れしたりする、っていうのはまぁいい。
それより、世の中ってネガティブなんだ、っていうのが、実際は10万分の1の事実なのに、絶対視されちゃう。
それっておかしい。
だから、枠の外に出るのが危なっかしく思えて、変に保守的になってしまうわけだ。
森達也さんの言葉を思い出す。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
名言です。
森達也HP