01 CINRA

2014.03.31

シンガポールに1年住んでやっていたこと

 
 

 
「シンガポールに1年住んでみる」というわがままな実験が、3月末で満期を迎えます。
4月からは、東京に住まいを戻しつつ、シンガポールへは出張ベースで毎月行く形。これまでとちょうど逆の生活になります。
 
1年、やっぱり、早かった!
 
あっという間すぎて、何ができたかって、ちゃんと形になったことは、ほんのごくわずか。でも、自分が(ひいては会社が)得られたものと言えば、それはなかなかに大きなものではないかと思います。
 
出発前のこの投稿で、「創業当初のヒリヒリ感をもう一度味わいたい」なんて浮かれたことを書いていますが、たしかにヒリヒリしっぱなし。あの無力感は、なかなかこれまで味わったことのないものでした。でもその分、入ってくる情報や経験を、スポンジのように吸収していける。ありがたい時間でした。この1年を支えてくれたすべての人たちに感謝です。
 
これからもシンガポールでの仕事は取り組んでいきますが、ひとまず区切りは区切りということで、ざっくりとどんなだったか、まとめたいと思います。
 
 
シンガポールへ行くことにした理由は、大きく分けると3つでした。
 
1. ともかく行きたい!
2. 日本の外でも自分は通用するのか?
3. 今の東京・日本を外から見たらどうなのか?
 
1は置いといて……2と3、どちらにも書ききれないほど膨大な感じたこと、考えたこと、起きたことがありました。
 
 
日本の外でも自分は通用するのか?
 
なんかすごい恥ずかしい見出しになってますが、結論としては、勝負すらできなかったです。
 
その理由は、もちろんぼく自身の能力や英語力だったりもするのですが、何よりも、明確な目標が見つけられなかったからです。そもそもビジネスの「勝負」というのは、目標が達成できたかできなかったです。「<いつ>までに<なに>を<どれくらい>する」という明確な目標があって、それができたかできなかったか、ということです。そしてその目標を設定するためには、戦略が必要になるわけです。戦略が決まらないと、目標を定めようがありません。その意味でいくと、この1年、明確な戦略を立てて設定した目標に向かってがむしゃらに走ることはできなかった、というのが正直なところなのです。
 
一応、この1年間のシンガポールでの売上目標のようなものは出発前に立てていたので、力技で終盤になんとかすることができました。とりあえず「食べていけるんだな」、というのはわかりましたが、それを知りたくて来たわけじゃありません。
 
じゃあ何をやっていたのかというと、「自分・自社がこれからどこで勝負できるのかを探し回っていた」ということになります。
 
本来、海外進出ともなれば、1年も時間をかけず、数回だけの視察でバシっと方針を決めます。そしてもちろん社長ではなく、社員数名が駐在することになります。日本で開発したサービスや製品をゴリっとローカライズして、結構な投資をします。これはほとんどの場合、長期戦になるようです。一度決めたから、方針を変えることもできないので、粘り強さが必要になります。
 
便器メーカーのTOTOの社長は、「海外でのマーケット開拓は、数十年単位で見ないとだめ」と言います。ITや広告は10年もすればすべての常識が変わる世界。なのでTOTOとは違うでしょうが、いずれにせよ長期戦は中小企業としてはかなりリスキー。自分としても選びたくないやり方でした。であれば、どんなことが可能なのか? どんなマーケットで、どんなニーズがあるのか? それをきちんと船頭である自分の目で確かめていくような動き方をしたいと思いました。
 
 
具体的には、4つのことをやっていました。
 
1:グローバルクライアントと仕事はできるか?
 
シンガポールはアジアのハブですから、世界中の大企業がアジアのヘッドクオーターを置いています。彼らと仕事はできるのか? 仕事はもちろん、英語です。ネイティブが多いので、早い。仕事のレベルも、当然高い。いきなり超高いハードルです。まず無理そうでしたが、せっかくなので難しいところからやってみたかったので、移住開始からしばらく、よくわからないながらも動いてみました。
 
ひとまずオンラインマーケティングに関するセミナーやカンファレンスに行きまくって知り合いをつくり、LinkedInをフル活用。その後、プッシュしていきます。実際はプッシュしようにも言葉の壁があるので、押してるのか引いてるのかよくわからないかんじでしたが、そういうことを4月から2、3ヶ月くらいやってました。
 
大抵は「Nice to meet you」から、その次のステップに進むことができません。色んな人に助けてもらって進めたとしても、自分が考えた企画を他の人にプレゼンしていただくという情けない状況(ビジネス英語は全然無理なレベルです)。ありがたいながらも、悔しいことばっかでした。
 
もしここでやっていくとしたら、誰にとってもわかりやすい、オリジナリティの高いサービスを提供する。この一点突破が近道だと思いました。言語や文化の違いのストレスすら越えられるくらいのプロダクトがないと、「一緒に仕事しよう」ということにはならないし、フェアな関係にはなれないんだと思います。
 
 
2:Webサービス
 
7月に、「Wantgo(ウォントゴー)」というシンガポールのイベント情報を集めたWebサービスを開始しました。現在は停止中ですが、またバージョンアップして、リスタートする予定です。わずか3ヶ月で立ち上げたサービスでしたが、現地のメディアに取り上げて頂いたり、様々な局面で英語ベースでのやりとりや商談ができて勉強になりました。
まずは日本とは関係のないサービスをしようと振り切ったことで、デザイン、PR、コピーなど、フラットに他のグローバルに浸透しているサービスと比べながらやれたことがよかったです。
 
また、現地のスタートアップの人たちとのネットワークもできました。外国人が新たにサービスをはじめることに対して、この国はとにかく寛容です。シンガポール政府からの投資や助成などのサポート、日系のIT企業や投資企業の活躍ぶりも間近に見ることができました。
 
 
3:日系企業/在外日本人向けマーケットを狙う企業へのサービス提供
 
日系企業や、海外法人だけど日本人向けにもサービスを展開したい企業へのサービス提供です。これが、ぼくのような海外経験や英語力の足りない人間には、最も現実的で、最短距離で成果を出す方法です。このやり方は、残り3〜4ヶ月になった時点で一気にギアチェンして開始しました。久々のテレアポ(笑)。
 
やっぱりやりやすさがケタ違いです。いつものかんじに近い。これまでの他の動きと比べたときに、どれだけ自分が日本の慣習ややり方に頼っているのかも身にしみました。
 
海外で日本の企業がどのように戦っているのかを間近に見させていただくこともできたし、何より自分の強みは何なのかを気づかせてもらえる経験にもなりました。
 
 
4.シンガポールのカルチャーシーンとのネットワークづくり
 
これは1年間、ずっとやっていました。現地のミュージシャンやデザイナーと会い、彼らがどんな作品を作っているのか、どんなことを考えているのかを知る機会を作っていきました。今、どれくらい日本の文化が受け入れられているのかも含めて。この中のつながりから、早くも日本の仕事でコラボレーションできたりしています
 
 

 
 
4つのうちどれも、書き出したらきりがありません。ざっくりと、こういう節操のない動き方をしていました。
限られた時間で「できるだけ多くを知る/見る」が優先事項だったわけですが、「多くを見る」にはシンガポールは世界中のどの国よりも適しているんじゃないかと思います。こんなに世界中の人が集まっていて、こんなにもオープンな国は、他に行ったことも聞いたこともありません。物価の高さはネックですが……。
 
面白かったのは、上記4つとも、関わる人たちも、求められる仕事のスタイルもマナーも、全く違っていたということです。「海外での仕事」ってとかく一括りにして語られがちだし、語ってもらいたいものです。でも、考えてみたら東京だけでも生き方は多様ですから、「海外」って括ったら、それどころじゃないくらい多様なのは、よく考えれば当たり前なことなんですよね。
 
他にも、文化、政治体制、人口問題、医療や治安、インフラ、メディア環境、教育制度などなど、シンガポールと東京との比較は、本当に気づきの多いことばかりでした。「住む/仕事する」という意味では、東京しか知らなかった自分にとって、初めてちゃんと「東京ってどうなのか?」を相対化できる機会でした。それが個人的にも国内情勢的にも、このタイミングでできたことは貴重でした。この辺のことを語り出すと、もう数時間かかりそうなので、控えます。
 
 

そうこうして、1年が経ちました。
 
 
序盤はいきり立って、「海外で働くということ」の答えを探してしまっていたのですが、「んなこた知ったこっちゃない」と思えるようになるまで、少し時間がかかりました。
 
わからないことにほど、答えをくっつけたくなるものですから、それを放棄したというのは、きっと前向きな変化です。
 
もちろん、ぼくが経験できたことはシンガポールやその周辺国だけなので限定的ですが、少なくても自分が「世界」という言葉に持っていた意味不明な憧れや、曖昧模糊としたイメージは削ぎ落とされたかんじがします。
 
これからも外での仕事は続いていきます。
「勝負」を仕掛ける日も、そう遠くはないです。
 

2014.01.06

新年のご挨拶。2014年、疑います。

 
2014年 年賀状
 
2014年がはじまりました。
 
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
 
今年は、郵送ではなく、
↑に貼付けた、全員集合写真を添えたメールでご挨拶をさせていただきました。
 
「ナルシストか!」
という突っ込み待ちをしている画にしか見えなくなっていますが、違います!
 
お世話になっているみなさまに、
「企業」という主語ではなく、
社員一人ひとり「個人」からご挨拶をしたい、
という意図でこのような形にしました。
 
今年も皆様のおかげでいいスタートがきれそうです。いつもありがとうございます。
 
もういっかい、あけましておめでとうございます。
 
 

 
 
CINRAでは毎年新年に、その年の行動規範としていつでも立ち返られるような、テーマを決めています。
いろいろ考えちゃいますが、シンプルなワード1つに落とし込みます。
 
で、2014年は、
「疑う」にしました。
なんか新年っぽくないですが、疑う、です。
 
 
自分たちの仕事をあらためて振り返ってみて、
「プロって、なんだろう?」と考えました。
 
プロというのは、その人に何かをお願いすれば、
最善の、または最上の答えを提供してくれる人のことを言うのかもしれません。
 
もしくは、そもそも誰からのお願いがなくても、
自ら時代を切り開ける人のことを言うのかもしれません。
 
いずれにせよ、
時間と情熱と才能の掛け合わせが、
プロをつくり出していくんだろうと思います。
 
企業活動であれば、
そこに「組織力」という変数が加わって、
その積み重ねが「利益」という形で還元されます。
 
 
ただ、「プロになること」と「プロであり続けること」は、違うよなぁと思うのです。
 
これだけ時代の流れが早く(特に我らがインターネット周辺)、昨日の最先端が、明日には古くなってしまっている中で、「プロであり続ける」というのは、これはもう至難のワザです。
 
昨日の正解が、明日の不正解で、
昨日の感動が、明日の当たり前になるんだとしたら、こりゃもう、キリがない。
 
けど、だからこそ毎日何かが起こっていて楽しい。
 
たぶん、この濁流に流される側に立つと、まったく楽しくなっちゃうんです。だから、流れの先端にいたい。
 
 
じゃあ、そんなスピーディーな中でも
プロであり続けるために、「一番必要なもの」って何だろうか? と考えました。
 
それで出てきたのが、「疑いの目」です。
世の中への疑いの目じゃなく、自分(たち)への疑いの目が、一番必要なことではないかと。
 
 
うまくいっていても、そうでなくても、
つねに、「本当にこれでいいのか?」と問い続ける姿勢。
 
ストイックなかんじもしますが、
そうは言っても、
「え? 土日でやれるじゃん?」とか、
「実質1時間しか寝てないんだけどー」とか、
そういうミサワ的自己満足の話しではありません。
 
クライアントより、ユーザーより、同業の誰より、
自分たちが自分たちに対して批評的な目を持つこと。
 
時にはこれまで大切にしていたものや、
自分たちの当たり前を、壊したり交換したりすることを厭わない姿勢。
 
そしてそれがチームで行なっていることであるならば、全員が空気を読むことなく、「本当にこれでいいのか?」を全員に対して問い続けられること。
 
こういう姿勢が、大事だよなぁと思ったのです。
 
いや、大事というか、そうだったらほんと楽しいよなぁと思ったのです。
 
 
仕事でも生活でも、
永遠に続きそうでいて、
ずっと続くものは、ほとんどありません。
 
 
1年というこの短くてすぐに過ぎ去ってしまうサイクル。
これをたった100回繰り返すだけで、
今この街で歩いている人はほぼ存在しません。
自分も、大切な人も、もういません。
 
だからこそ、後悔したくないし、
時に、日常の当たり前を振り返ってみたりする。
 
※『これだけは読んどけ! 死ぬ前に後悔すること10 – NAVER まとめ
 
 
企業でも、
100年以上続いているところもありますが、
途中で必ずやドラスティックな改革があって、
同じ思想で、同じ事業で100年続いている企業はまずありません。
 
※『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』
 
 
自分たちの仕事で考えれば、
たとえ今、なんとか形になっていても、
それはもう明日には、価値がなくなってしまうかもしれない。
 
だから、今を疑い続ける。
 
サバイブするために無理矢理やるんじゃなくて、
社会や自分がアップデートしていくことが楽しいから、疑う。
 
 
今年だけのテーマってわけでもなさそうですが、
今年は特に、そういう意識をもっていたいとおもいます。
 
これまでの自分たちに様々な揺さぶりをかけて、
トライ&エラーをしてみたいです。
 
少々お見苦しい点や、
「イタいなぁ、シンラ」ってところがあるかもしれません。
でも、そういうのがなさすぎるよりもいいかと。
 
 
新年から、
自分たちの暑苦しい話しばかりですみません。
やっぱりナルシストかもしれません。
いや、せいぜい自意識過剰で抑えておきたいです。。。
 
2014年も、よろしくお願い致します!
  

2013.12.25

日本文化を海外に発信する、「スマートな戦略」はあるのか?

 
30度を越える暑さの中、街はクリスマスムード全開のシンガポールです。
フラフラ歩いていると、マライアキャリーを20回くらい耳にします。
 
さて、12月20日、シンガポールにてASIAN KUNG-FU GENERATIONとストレイテナーのライブが開催されました。日本ではフェスじゃない限り、対バンなどありえない豪華な2バンドだし近くで見られるしで、すごく贅沢な時間でした。
 
ライブも素晴らしくって、地元の人たちも大盛り上がりでした。
 

asian kanfu generation
 
「日本のカルチャーをどうやって広げていけばいいのだ?」というのは、シンガポールに来てからずっとぼんやりと考えていて、このライブをきっかけに、まとめておきたいと思いました。
 
 
以前もブログで書いたように、アジアではどこにいっても、エンタテインメントは韓国一人勝ちだなぁと痛感します。ファッションやコスメも、ぐいぐい来ています。
 
現地の若者に話しを聞くと「日本はいいものがたくさんあるのに、伝え方が下手なんだよ!」と怒られます。こちらに来てから、もうかれこれ何十回も言われています。こんちくしょう。
 
どうやら、2000年以降、日本のカルチャー情報が、あんまり国外に届いていないっぽいのです。みんなが知っている日本のアーティストの名前が2000年あたりで止まっています(一部の強烈なファンやアニメと食は除いて)。たぶん、ayuあたりです、主に。
 
もちろん、「韓国か日本か」みたいなつまらない二元論は間違っているし、KARAとか少女時代かわいいし、共存したいです。それでもやっぱり「どうしてそんなにスゴいことになったんだろうな?」って気になっちゃいます。
 
だって、どういう角度から見ても、ぜんぜん日本の作品は負けてないわけです。作品の問題じゃないのなら、あとは戦略の問題になってくるのだと思います(もちろん言語の問題もあるけど、それも含めて戦略)。
 
で、考えるのです。
 
 
「みんな『伝え方が下手』って言うけど、何かいい方法はあるんかいな?」と。
 
 
いや、そんな画期的な手法、あったらとっくにみんなやってます。
 
ミラクルは願っていても起きなくて、「戦略」って、その言葉の響きが持っているほど万能でスマートなものじゃない。お金さえ突っ込めばなんとかなることでもなく、結局はやることをきちっとやって、地道な活動を続けることしかないんだなぁと思うのです。それはもう、ビラ配りとか、そういうレベルで。
 
ビラ配りにだって、どういうデザインにするのか、キャッチコピーはどうすれば響くか、どういう場所で配ればいいのか、など、膨大なノウハウが必要なわけで、それはもう、泥臭いけど自分の足で動いてみて、やってみなきゃわかんないと思うんです。
 
デジタルにしても、YoutubeのオフィシャルPVが日本国外からだと見られないとか、ライブ中に写真撮っちゃダメで、ましてやソーシャルに拡散するなんてもってのほか、とか、そういうもどかしい部分を最適化して、地道にやっていかないといけない。
 
よく例として挙げられるアーティストtoeが海外ですごく人気なのは、インストバンド(歌=言語がないバンドだからハードルが低い)だからっていうことだけじゃなくて、そういうことをやっているからなんだろうなぁと思うのです。すごいです。
 
堀江さんの言葉をいただけば、
ゼロから小さなイチを足していくっていうやつです。
 
 
結局のところ、根本にあるのは「戦略」なんて頭の良いものではなく、「危機感」の問題なのだろうと思います。ネット上でブラック企業と批判されるユニクロの柳井社長がいつも言うのは、「茹で蛙」の話しです。徐々に暖まっていく鍋の中にカエルを入れておくと、その温度の変化に気づかずに死んでいく、という話しです。
 
韓国の場合、1997年のアジア通貨危機という「熱湯」を思いっきりぶっかけられたことで路線を変え、「外貨を稼ぐ」方向にシフトできたと聞きます。
 
で、こんなに偉そうに書いているぼく自身も、月に1度東京に戻ると、やるべきことのオンパレードだし、お客さんもぼくを必要としてくださるし、十分に忙しいから、安心な気がしちゃいます。けど、徐々に鍋のお湯の温度は上がっているんだなぁと、シンガポールに戻ると、振り子のように体感するのです。
 
 
teteatete
※「英語と中国語以外を話そう」という現地の若者が集まるイベントの様子。ドイツ語バルーンや韓国語バルーンには人が集まっていて楽しそうだけど、日本語バルーンには誰もいないというショッキングな光景……。
 
 
一目散に「海外だ!」と言うほど選択肢は少なくないし、そんなにすぐに結果が出るほど海の外はぬるくないんだと痛感します。でも、国内外、全方位で未来を想像して、どうやって期待感と危機感の両方を獲得していくかっていうのは、すごく重要と思います。今。
 
その意味で、今回のように、日本だけでも十分にたくさんのファンがいる素晴らしいアーティストが海を渡り、ライブをするというのは、本当に素敵なことだし、その演奏に心打たれました。
 
全体として見れば、道のりは長く、1回や2回で何かが変わるものではなく、5年10年とかかる大きくて地道な変化なのだろうなぁと思います。打ち上げ花火というより、農業。
 
 
長く時間はかかるかもしれないけど、
やっぱり目の前で、MJよろしく、『This is it!!!』って伝えられるパワーは、何にも勝っていました。
 
ご招待いただいたストレイテナーの堀江さん、マネージャーのWさん、イベント運営されたVivid Creationsのマホさん、ありがとうございました!
 

2013.10.21

シンガポールの仕事場:HUB Singapore

シンガポールに移住して、半年が経ちました。
 
毎月1週間東京に戻っているから、
その都度、味覚がジャパンクオリティに引き戻される生活です。
 
最初の数ヶ月は、
どっちが拠点なのか身体が理解できていないのか
行き来する度にわけわからないかんじでしたが、
ようやくここのところで「シンガポールがホーム」と身体が覚えてきたような気がします。
 
やはり、旅行で来るのと住んでみるのとは、結構違うものです。
そして、シンガポールは、本当に安全で快適な国です(とくに暑いのが好きなぼくにとっては)。
 
あっという間に半年経ってしまったので、
取り返すためにも、ちょこちょこブログを復活させていきたいと思います。
 
まずは、週の半分くらい通っているシェアオフィススペースをご紹介します。
 
 
HUBというシェアオフィススペースです。
東京にも今年できたようですが、世界中に展開しているシェアオフィスです。
 
HUB Singapore
 
形としてはシェアオフィスなのですが、
それよりも「スタートアップのコミュニティ」といった方が良いかもしれません。
トークイベントや、投資家とのマッチングイベントなどもやっています。
 

 
ここには、シンガポール含め、
他のアジアや欧米から様々なスタートアップや、
いわゆるソーシャルアントレプレナー的な人たちが集まっています。
 
スペースもフリーアドレスなので、
わりとみんな仲が良いです(写真はなんか暗いけど)。
 

 
日本人はずっとぼく一人だったのですが、
つい最近、何名か参加されてきたようです。
 
ここを選んだのは、以下のような理由からでした。
1. ずっと家で仕事するのはキツそう
2. 日本人が少なく英語が飛び交っていてなんかテンション上がった
3. 安かった(週3日使って2.5万/月くらい)
 
 
シンガポールに来て以来、
たくさんの日本の方々と交流させてもらっていますが、
HUBのコミュニティは、そこからはだいぶ遠いところにあります。
 
こちらへ来たからには、
そういうITやスタートアップならではの空気も感じながら
仕事をしたかったので、ぼくにとってはうってつけでした。
 
最近は、ようやく言葉にも慣れてきたので、
ちょこちょこ仕事中に雑談をしたりしながら、
気持ちよくやっています。
 
 
しかし、ものすごく驚いたのは、
ここにいる人たちのほとんどが、7時くらいになると全員帰ることです。
 
もちろん、成果は時間に比例しないけど、
それでもスタートアップって、圧倒的に時間が足りないもんじゃないかと思うんですが、
帰っちゃうんですよね。
 
もしかすると家でやってたりするのかもしれませんが、
日中もわりと雑談しながら仕事してるし、
「この人たちいつ仕事してるんだろ?」と思います。
 
ぼくの常識では計り知れない集中力と生産性を
持ち合わせているのかもしれません。
 
 
この他にも、IT系のスタートアップが集まる施設があって、
NUSという国立大学とSingTel(通信会社)が運営している
「Plug@Blk71」という施設があります。
 
これについては、ライターの岡さんのコチラの記事で紹介されてます
ここでもよく、トークショーを開いたりしています。
 

 
 
シンガポールに来てみて、まず驚いたのは、
ものすごくシンプルに「学歴」「キャリア」「給料」を大事にしている国だなぁということでした。
あと、政府関係者とのネットワークでしょうか。
 
けど、人レベルではみんなとてもオープン。
なんというか、おしなべてすごくやさしい。
英語も人によって習得レベルがバラバラなので、コミュニケーションも寛容。
 
さらに、こういうスタートアップのような新しい動きをサポートする動きにも積極的です。
おまけにそれが自国民だけでなく、欧米やアジア各国の人々で支えられていて盛り上がっているのも、
この国で仕事や生活をする魅力だなぁと思います。

2013.05.08

クライアントのために仕事をしない。

「なぜ働くのか?」は、ずーっとついてまわる根が深いやつです。
 
5W1Hで言えば、この「Why」以外の4W1Hも、たしかに大切かもしれない。
 
経営をうまくやるものだったり(WhatとかHow)、人が楽しく持続可能に仕事をする(WhenとかWhere)ためだったりする。誰とやるかという「Who」も、すごく大事。
 
最近よく「(これからの新しい)働きかた」に注目した雑誌や記事を見かけるけど、それはたいてい働く時間(When)や場所(Where)についての話しで、「なぜ働くのか?」という話しをスルーして、あたかもそれが仕事の本質のようなことになってしまっているから、どうにも居心地が悪い。
 
いざっていうときに立ち返れるのは、やっぱり「Why」しかないんじゃなかろうか。Whyだけ、別次元の質問だと思う。
 


 
 

それだけ大事な「なぜ自分はこの仕事をしているのか?」だけど、実際のところその理由は、人それぞれで、なんでもいいんだと思う。金持ちになるでも、家族とのんびり過ごすでも、世界を変えるでも。短期的なものでも長期的なものでも。自由に労働の理由を選択できるほど平和なんだから。

 
とにかく何らかのWhyがあることが大切だし、ないなら自分でそれを見い出す力が、何より大事な能力だよなぁと思う。

 
 
さて、唐突ですが、
 
クライアントのために仕事をしない。
 
これ、なかなか難しいですが、ぼくのWhyにとって重要なポリシーです。
 
 
もちろん、クライアントや広告主の皆様方を軽視しているわけじゃなく。
 
CINRAは、メディアの運営や広告の制作をしているから、基本的にクライアントや広告主からお金をいただいて運営している。お金をいただく以上は、間違ってもその広告や記事がクリエイターのオナニーであるべきじゃなく、その投資以上の効果(利益)に貢献しないといけない。それができないと思うなら、その仕事は受けるべきじゃない。KPIだのUSPだのROIだの、アルファベット3文字を並べまくった企画書だって、ほんとのところで取引先に貢献できないなら、それはただのおままごと。
 
でも、だからと言って、その「クライアントへの貢献」が仕事をする理由や目的になるわけではない。
あくまでそれは、前提条件だと思っている。とても難しい前提だけど。
 
 
一方、自分たちのクリエイティブの限界に挑み、「世界のトップクリエイターになる!」 とか「自分たちにしかできない表現で驚かせる!」というのもかっこいいけど、自分がクリエイターあがりでないからか、やっぱりこれもしっくりこない。
 
 
ほんとに申し訳ない話し、ぼくの場合、クライアントや広告主のためだけに「ぬをーー!!」と必死になることはできないし、自分のクリエイター魂のようなものに火をつけることもできない。
 
(ここで読み終えてしまった取引先は、もう二度と仕事させてもらえないだろうな……)
 
 
 
「クライアントのお客さん(エンドユーザー)がハッピーになれるかどうか」
 
これがすべての原動力になる。
 
逆にこれがないと、やる気がまったく起きない。家で寝てたい。
「真面目に仕事をする」なんて、理由がないのにできっこない。
逆に、これに関しては誰よりも真剣に考える。悩む。立ち返る。
 
 
たとえば、専門学校の広告をつくるとする。
 
そんなときに、「クライアントのお客さん」を想像してみる。
 
—-
 
受験戦争に出遅れて、美大を受験するには時すでに遅しなA君。
引っ込み思案だけど自意識ばっかり過剰。
 
A君は、とある広告/WEBサイトを目にしたことをきっかけに、親から不本意に受けさせられるところだった大学への進学をやめて、デザイナーに憧れて、その専門学校に入学する。なんとか親を説得しようとしたけど、大げんかして、なかば家出のようなかたちで上京した。学費が大学以上に高いけど、なんとか夜勤のバイトを掛け持ちしながら、通いはじめた。
 
東京にはびっくりするくらいたくさん自分に近しい人がいて、超すごい同級生がいて、ちょっとスタートは遅かったけど、死に物狂いでがんばった。(A君がんばれ)
 
卒業後、就職せずにふらふらとウダツがあがらないA君に、めずらしくパーティーの招待があった。専門時代の友達の独立開業パーティーだ。友達の門出を手放しに祝えない自分の器量のなさに愕然としつつ顔を出してみると、そこにはなんと、偶然憧れのクリエイターが!(A君!!!)
 
畏れ多くも声をかけてみて、自分の作品をその人に見せてみたら、「今度オフィス遊びにおいでよ」って言われた。そうしたら・・・・
 
—-
 
 
うーん、我ながら、なんという安直な展開・・・。
 
でも、このA君のために、がんばりたいなぁと思うのです。
 
あぁ、おこがましい。
 
 
美術、美容、教育、介護、音楽、玩具、金融……。
どんな業界でも、そこには、クライアントや広告主のお客さん(エンドユーザー)がいる。
 
その人の人生にぼくたちが、他社にはできないやり方で、関わることができる。
大袈裟なドラマは、無限に頭のなかで生産されていく。
 
もはや、想像力の商売だ。
 
その妄想を実現させるために、
企画、設計、デザイン、コピー、写真、プログラムやコード、編集がある。
 
妄想の実現っていうのはすごく難しいものなので、これらの技術には、一流の知識やセンスやアイデアが必要になる。それがうまくかみ合うと、妄想は実現し、結果としてクライアントに利益という形でお返しができる。
 
 
これ、「ペルソナ分析」とは、ぜんぜん違う。
 
ペルソナ分析は何らかの目的達成のための「手段」だけど、この場合、A君主演の安っぽいドラマは手段ではなく、すべての手段にとっての「目的」になる。(もちろん取引先に出す企画書では、手段になりすますわけだけど)
 
 
当然クライアントだって、自分のお客さんのために事業をしているわけなので、結局はぼくたちが「クライアントを見る」のではなく、「クライアントと同じ方向(エンドユーザー)を見る」ということなのだと思う。すこし偉そうな話しだけど、それくらいの気概がないといかんと思う。
 
 
 
おっとりするほどカッコいい広告も、いいかもしれない。
 
夢中になって楽しんでもらえるWEBサイトも、うらやましい。
 
でも、もしそれがカッコいい「だけ」だったり、楽しめる「だけ」のものなら、「こんな作品つくる人になりたい!」と思ってくれる人が増えることにはなるかもしれないけど、なんだかそれだけで、幅が狭い気がしてしまう。おまけにクライアントに貢献できなかったら、もっとツラい。(この辺を諸先輩方は全部やっちゃってたりするからとんでもないわけだけど…)
 
つまり、ただ面白いだけで、せっかくの「クライアントの資産」が活かされないのはもったいない。
 
クライアント企業が何年も、何十年も試行錯誤を重ねて、何百人、何千人もの人がつくってきたものすごい資産。それを舞台に極上のドラマがつくれるなんて、広告というのはなんとわがままで、贅沢な仕事だろう。
 
広告だから、そこには当然なんらかの「ゴール」がある。商品の購入だったり、サービスへの申し込みかもしれない。もちろんそれは、無視できない。でもそれはいわば、ドラマの「設定」であって、ドラマを邪魔するものではけしてない。広告としての「ゴール」がそこであったとしても、A君にとってはその「設定」は、人生の通過点に過ぎないわけであって、いかに素敵な通過点をつくれるかが、ぼくらにかかっている。
 
 
メディアの記事づくりも、もちろん同じ。
自分が好きなネタも、ときには心底好きじゃないネタも、すべて、誰かにとっての「いい通過点」になれると思える想像力が、カギをにぎっている。その後の編集スキルや進行管理能力は、後からどうにでもなると思っている。
 
先日のGunosy批判への回答として彼らが掲載した記事には、こうあった(ちなみにぼくはGunosy大好きで、尊敬しています)。
 
事実と異なるかは読者が判断すべきであり、全面的に我々が誤っていたと思っております。大変申し訳ありません。以降メディアとして情報を扱っていることに責任感を持ち中立に扱いたいと思います。

 
まったくその通りだなぁと思う。
メディアや広告をやる側に権威がある時代なんてとっくに終わっていて、それはただの「きっかけ」でありさえすればいいのだと思う。「きっかけ」をつくることすら、ものすごく難しいことだ。言論や思考は、たくさんのきっかけをキュレーションして、それぞれがつくっていく。それだけのソースをみんな持っているんだから、発信する側にできることは以前とはまったく違う。
 
 
なんだかタイピングしながら火照ってきて止まらないわけだけど(笑)、こういうことは、広告やメディアに携わる、誰もがわかっているキレイごとなのかもしれない。初歩的で青臭いから、わざわざ発言する必要もないことなのかもしれない。
 
でも、これは間違ってもキレイごとじゃない。人の人生に介入することが目的なんて、お金が一番の理由になっている人よりも、よっぽど欲深いし、エゴイスティックだ。キレイというより、欲にまみれている(笑)。さらにそのエゴを正当化するためには、人間に対する溢れんばかりの好奇心や愛情が必要になる。タフだ。
 
往々にして、ワタワタと大変になるとついこのことを忘れて、「ただ処理するだけ」になってしまう。でも、大変な時こそ、この「ドラマの実現」にしがみついていたい。理性よ。
 
 
まとまりのない駄文になってるけど、なんにせよ、そのWhyがないと、がんばれない。
 
想像力をしぼっても誰も幸せになるイメージが湧かないなら、その仕事は丁重にお断りするしかない。
一緒にがんばるチームに、その仕事をする理由を説明できない仕事は、受けられない。
(今のところそんなお仕事はなかったけど)
 
 
CINRAの場合、自社サービスもクライアントワークもあるけど、ぼくにとってのWhyはどれも同じ。
 
 
自社サービスが苦しくなって「とりあえず受託仕事やって儲けとくか」という人もいるけれど、「とりあえず」と言うほどかんたんでもないし、ただの時間の無駄づかいにしてしまうにはもったいないほど、奥が深く、魅力的な仕事と思います。
 
 
長々と、ずいぶん青臭いエントリーとなりましたが、お仕事のご依頼はコチラからどうぞ。笑
 
 
以上、新入社員のA君に向けつつ。