2016.04.03

失敗を恐れると、新しい挑戦はできないのか?

 
「失敗を恐れるな」
「日本は失敗を許さないからダメだ」
というような話しをよく聞きます。
 
失敗を恐れているから日本からは世界に通用するサービスが生まれない。イノベーションが起こらない。たしかにそうなのかもしれません。
 
でもぼくは、新たに何かをはじめる人に、
「失敗を恐れるな」とは言えません。
 
正直なところ、
「失敗はそこそこ恐れててもいいかも」と思っているからです。
 
そもそも「失敗」って何なのでしょうか?
 
どういう状態になると、
「俺は/私は失敗した」ということになるんでしょうか?
 

 
個人的な話なのですが、
少し前に、とても尊敬する経営者の方がいました。
 
「仕事ができる」とはこういう人のことをいうんだろうなぁと思い、創業したての自分にとってはまさにお手本のような人でした。
 
しかし、その人の会社は上場を間近に控え、倒産しました。
 
上場に向けて多額の資金調達や借り入れをしていたこともあり、負債額はかなりのもので、有無も言わさず自己破産でした。
 
帝国データバンクのWEBサイトの倒産情報欄に
その人の名前がでているのを、ボーっと見ていました。
 
いまから10年近く前の話です。
 
 
身辺整理で慌ただしい中、その人はぼくにこう言いました。
 
「経営者でない人生を歩んだほうがよかったのかもなって思ってしまうんだよ」
 
普段弱さを出さない人だっただけに、強烈なインパクトでした。
 
債権者もかなり多くいただろうし、
心ない言動の嵐だったのだろうと思います。
 
人によっては、自ら命を断ってしまうくらいですから、
相当な苦境だったのだろうと思います。
 
でも、創業して間もなかった自分にとっては、
その道で自分が最も尊敬していた人が、
その道を歩んできたこと自体を後悔してしまったことが、
そこそこ受け入れ難かったわけです。
 
なにも後悔しなくたっていいじゃないか。
最後まで立派だったじゃないか。美しく散ったらいい、と。
 
いや、今考えれば仕方ないよな、と思います。
きっと本気でそうは思っていなかっただろうし。
あまりの辛さから、ついポロっと出てしまったんだと思います。
 
ともあれ、そのとき、ぼくにとっての「失敗」が定義されました。
 
それは、
会社が倒産することでもなく、
自己破産することでもなく、
社員が突然離散してしまうことでもなく、
(そのどれも避けたいことですが、それ以上に)
「自分の人生を後悔すること」です。
 
失敗=それまでの日々を後悔して、できることならやり直したいと思うこと
 
うまくいかなかったときに、反省はするけど後悔はしたくない。
後悔しちゃったら、応援してきてくれた人たちに合わす顔がないし、自分の人生にもなんとなく申し訳ない。
 
不本意ながら、なんかマッチョな話しになってきてますが、ともかくそういうわけで、ぼくは失敗(=後悔すること)をそこそこ恐れています。
 

 
だからと言って、ビビって新たな挑戦をしないわけではありません。
むしろこれまで、すぐに新たな事業やサービスを立ち上げてしまうばっかりです。
 
「やっぱりやっておけばよかった」って後悔したくないから新しいことを始めるし、自分の好奇心や会社の可能性にフタをしたくないから挑戦します。失敗したくないから、計画も立てるし、ちゃんとがんばります。
 
「失敗への恐れ」と「新たな挑戦」には、実はあんまり相関関係がないんじゃないか。
 
新たな挑戦は、むしろ失敗から遠ざかるための最も効率的で合理的な手段なんじゃないか。
 
そう思っています。
 
 
少なくてもぼくは、「失敗を恐れるな、Do it!!!」という人よりも、「ビビってていいし、途中で投げ出してもいいけど、後悔だけはするな」と言ってくれる人の方を信用するし、一緒に働く仲間とも、そういう風に仕事をしていきたいと思ってます。
 
新年度、新たな仲間も加わりまして、スタートです。