2013.05.08

クライアントのために仕事をしない。

「なぜ働くのか?」は、ずーっとついてまわる根が深いやつです。
 
5W1Hで言えば、この「Why」以外の4W1Hも、たしかに大切かもしれない。
 
経営をうまくやるものだったり(WhatとかHow)、人が楽しく持続可能に仕事をする(WhenとかWhere)ためだったりする。誰とやるかという「Who」も、すごく大事。
 
最近よく「(これからの新しい)働きかた」に注目した雑誌や記事を見かけるけど、それはたいてい働く時間(When)や場所(Where)についての話しで、「なぜ働くのか?」という話しをスルーして、あたかもそれが仕事の本質のようなことになってしまっているから、どうにも居心地が悪い。
 
いざっていうときに立ち返れるのは、やっぱり「Why」しかないんじゃなかろうか。Whyだけ、別次元の質問だと思う。
 


 
 

それだけ大事な「なぜ自分はこの仕事をしているのか?」だけど、実際のところその理由は、人それぞれで、なんでもいいんだと思う。金持ちになるでも、家族とのんびり過ごすでも、世界を変えるでも。短期的なものでも長期的なものでも。自由に労働の理由を選択できるほど平和なんだから。

 
とにかく何らかのWhyがあることが大切だし、ないなら自分でそれを見い出す力が、何より大事な能力だよなぁと思う。

 
 
さて、唐突ですが、
 
クライアントのために仕事をしない。
 
これ、なかなか難しいですが、ぼくのWhyにとって重要なポリシーです。
 
 
もちろん、クライアントや広告主の皆様方を軽視しているわけじゃなく。
 
CINRAは、メディアの運営や広告の制作をしているから、基本的にクライアントや広告主からお金をいただいて運営している。お金をいただく以上は、間違ってもその広告や記事がクリエイターのオナニーであるべきじゃなく、その投資以上の効果(利益)に貢献しないといけない。それができないと思うなら、その仕事は受けるべきじゃない。KPIだのUSPだのROIだの、アルファベット3文字を並べまくった企画書だって、ほんとのところで取引先に貢献できないなら、それはただのおままごと。
 
でも、だからと言って、その「クライアントへの貢献」が仕事をする理由や目的になるわけではない。
あくまでそれは、前提条件だと思っている。とても難しい前提だけど。
 
 
一方、自分たちのクリエイティブの限界に挑み、「世界のトップクリエイターになる!」 とか「自分たちにしかできない表現で驚かせる!」というのもかっこいいけど、自分がクリエイターあがりでないからか、やっぱりこれもしっくりこない。
 
 
ほんとに申し訳ない話し、ぼくの場合、クライアントや広告主のためだけに「ぬをーー!!」と必死になることはできないし、自分のクリエイター魂のようなものに火をつけることもできない。
 
(ここで読み終えてしまった取引先は、もう二度と仕事させてもらえないだろうな……)
 
 
 
「クライアントのお客さん(エンドユーザー)がハッピーになれるかどうか」
 
これがすべての原動力になる。
 
逆にこれがないと、やる気がまったく起きない。家で寝てたい。
「真面目に仕事をする」なんて、理由がないのにできっこない。
逆に、これに関しては誰よりも真剣に考える。悩む。立ち返る。
 
 
たとえば、専門学校の広告をつくるとする。
 
そんなときに、「クライアントのお客さん」を想像してみる。
 
—-
 
受験戦争に出遅れて、美大を受験するには時すでに遅しなA君。
引っ込み思案だけど自意識ばっかり過剰。
 
A君は、とある広告/WEBサイトを目にしたことをきっかけに、親から不本意に受けさせられるところだった大学への進学をやめて、デザイナーに憧れて、その専門学校に入学する。なんとか親を説得しようとしたけど、大げんかして、なかば家出のようなかたちで上京した。学費が大学以上に高いけど、なんとか夜勤のバイトを掛け持ちしながら、通いはじめた。
 
東京にはびっくりするくらいたくさん自分に近しい人がいて、超すごい同級生がいて、ちょっとスタートは遅かったけど、死に物狂いでがんばった。(A君がんばれ)
 
卒業後、就職せずにふらふらとウダツがあがらないA君に、めずらしくパーティーの招待があった。専門時代の友達の独立開業パーティーだ。友達の門出を手放しに祝えない自分の器量のなさに愕然としつつ顔を出してみると、そこにはなんと、偶然憧れのクリエイターが!(A君!!!)
 
畏れ多くも声をかけてみて、自分の作品をその人に見せてみたら、「今度オフィス遊びにおいでよ」って言われた。そうしたら・・・・
 
—-
 
 
うーん、我ながら、なんという安直な展開・・・。
 
でも、このA君のために、がんばりたいなぁと思うのです。
 
あぁ、おこがましい。
 
 
美術、美容、教育、介護、音楽、玩具、金融……。
どんな業界でも、そこには、クライアントや広告主のお客さん(エンドユーザー)がいる。
 
その人の人生にぼくたちが、他社にはできないやり方で、関わることができる。
大袈裟なドラマは、無限に頭のなかで生産されていく。
 
もはや、想像力の商売だ。
 
その妄想を実現させるために、
企画、設計、デザイン、コピー、写真、プログラムやコード、編集がある。
 
妄想の実現っていうのはすごく難しいものなので、これらの技術には、一流の知識やセンスやアイデアが必要になる。それがうまくかみ合うと、妄想は実現し、結果としてクライアントに利益という形でお返しができる。
 
 
これ、「ペルソナ分析」とは、ぜんぜん違う。
 
ペルソナ分析は何らかの目的達成のための「手段」だけど、この場合、A君主演の安っぽいドラマは手段ではなく、すべての手段にとっての「目的」になる。(もちろん取引先に出す企画書では、手段になりすますわけだけど)
 
 
当然クライアントだって、自分のお客さんのために事業をしているわけなので、結局はぼくたちが「クライアントを見る」のではなく、「クライアントと同じ方向(エンドユーザー)を見る」ということなのだと思う。すこし偉そうな話しだけど、それくらいの気概がないといかんと思う。
 
 
 
おっとりするほどカッコいい広告も、いいかもしれない。
 
夢中になって楽しんでもらえるWEBサイトも、うらやましい。
 
でも、もしそれがカッコいい「だけ」だったり、楽しめる「だけ」のものなら、「こんな作品つくる人になりたい!」と思ってくれる人が増えることにはなるかもしれないけど、なんだかそれだけで、幅が狭い気がしてしまう。おまけにクライアントに貢献できなかったら、もっとツラい。(この辺を諸先輩方は全部やっちゃってたりするからとんでもないわけだけど…)
 
つまり、ただ面白いだけで、せっかくの「クライアントの資産」が活かされないのはもったいない。
 
クライアント企業が何年も、何十年も試行錯誤を重ねて、何百人、何千人もの人がつくってきたものすごい資産。それを舞台に極上のドラマがつくれるなんて、広告というのはなんとわがままで、贅沢な仕事だろう。
 
広告だから、そこには当然なんらかの「ゴール」がある。商品の購入だったり、サービスへの申し込みかもしれない。もちろんそれは、無視できない。でもそれはいわば、ドラマの「設定」であって、ドラマを邪魔するものではけしてない。広告としての「ゴール」がそこであったとしても、A君にとってはその「設定」は、人生の通過点に過ぎないわけであって、いかに素敵な通過点をつくれるかが、ぼくらにかかっている。
 
 
メディアの記事づくりも、もちろん同じ。
自分が好きなネタも、ときには心底好きじゃないネタも、すべて、誰かにとっての「いい通過点」になれると思える想像力が、カギをにぎっている。その後の編集スキルや進行管理能力は、後からどうにでもなると思っている。
 
先日のGunosy批判への回答として彼らが掲載した記事には、こうあった(ちなみにぼくはGunosy大好きで、尊敬しています)。
 
事実と異なるかは読者が判断すべきであり、全面的に我々が誤っていたと思っております。大変申し訳ありません。以降メディアとして情報を扱っていることに責任感を持ち中立に扱いたいと思います。

 
まったくその通りだなぁと思う。
メディアや広告をやる側に権威がある時代なんてとっくに終わっていて、それはただの「きっかけ」でありさえすればいいのだと思う。「きっかけ」をつくることすら、ものすごく難しいことだ。言論や思考は、たくさんのきっかけをキュレーションして、それぞれがつくっていく。それだけのソースをみんな持っているんだから、発信する側にできることは以前とはまったく違う。
 
 
なんだかタイピングしながら火照ってきて止まらないわけだけど(笑)、こういうことは、広告やメディアに携わる、誰もがわかっているキレイごとなのかもしれない。初歩的で青臭いから、わざわざ発言する必要もないことなのかもしれない。
 
でも、これは間違ってもキレイごとじゃない。人の人生に介入することが目的なんて、お金が一番の理由になっている人よりも、よっぽど欲深いし、エゴイスティックだ。キレイというより、欲にまみれている(笑)。さらにそのエゴを正当化するためには、人間に対する溢れんばかりの好奇心や愛情が必要になる。タフだ。
 
往々にして、ワタワタと大変になるとついこのことを忘れて、「ただ処理するだけ」になってしまう。でも、大変な時こそ、この「ドラマの実現」にしがみついていたい。理性よ。
 
 
まとまりのない駄文になってるけど、なんにせよ、そのWhyがないと、がんばれない。
 
想像力をしぼっても誰も幸せになるイメージが湧かないなら、その仕事は丁重にお断りするしかない。
一緒にがんばるチームに、その仕事をする理由を説明できない仕事は、受けられない。
(今のところそんなお仕事はなかったけど)
 
 
CINRAの場合、自社サービスもクライアントワークもあるけど、ぼくにとってのWhyはどれも同じ。
 
 
自社サービスが苦しくなって「とりあえず受託仕事やって儲けとくか」という人もいるけれど、「とりあえず」と言うほどかんたんでもないし、ただの時間の無駄づかいにしてしまうにはもったいないほど、奥が深く、魅力的な仕事と思います。
 
 
長々と、ずいぶん青臭いエントリーとなりましたが、お仕事のご依頼はコチラからどうぞ。笑
 
 
以上、新入社員のA君に向けつつ。