2007.01.24

悲しい出来事

中学高校と同級だった友達が先週亡くなった。
2年弱、脳腫瘍に苦しみ、度重なる手術やリハビリをがんばっていた。そして先週日曜、お通夜に行ってきた。
ぼくは、たぶん異常なほど、過去を覚えていない。
ほんの断片しか記憶がなくて、いつも同窓会の話題についていけなくなる。
「あのとき杉浦が〜〜って言ってさー」
と言われても、90%覚えていない。
ここまでいくと、無責任すぎる。
そんなぼくの彼との思い出も、やはり断片的で少しだけ。
彼は中学1年にして170cmを越える長身だった。
違うクラスだったんだけれども、今と同じく色んな意味で背伸びをしていた当時のぼくを、彼は生意気だと思ったらしく、上履きをぶつけてきた。
多少キレて、どうしてやろうかと思っていたら、すぐにあやまってきてくれて、ちょっと仲良くなった。これがはじまり。
その後、ぼくは何度か彼を傷つけたように思う。
それでも彼はぼくをずっと慕ってくれた。
何かと「太一はすごい」と言ってくれて、ぼくはただ彼の言葉をもらっていただけだった。
青春というものが誰にも訪れるものなのだとしたら、ぼくの場合、中学3年の頃がそう言えるんだと思う。ひたすら大はしゃぎした。裏切り。友情。恋愛。色んなものが凝縮した時期だった。
その年の体育祭でぼくと彼は違うクラスで団長同士だったんだけど、終わった後に抱きしめてくれ、一緒に涙したのを覚えている。
(普通の学校じゃバカだと思われるけど、ぼくが行ってた学校はちょっと特殊だったんだ)
彼と離れて(高校を卒業して)、大学ももうすぐ卒業という頃、彼の病気のことを聞いた。
友達と病院に行くと、頭痛がするのに、いつも通り明るく、ぼくと話しをしてくれた。
そしてそれから1年後にお見舞いに行った時は、少し言葉が弱くなったようで、物を言葉で認識したり、自分の思っていることを言葉にするのに困難が生じているようだった。
帰り際、ぼくは彼と握手をした。
「がんばれよ」と言うと、彼は目をものすごく大きく見開いて、力強くうなずき、ぼくの手をギュっと握り返してきた。
そしてそれから半年くらい経った先週、
仕事中に彼が亡くなったことを母から聞いた。
リハビリがうまくいってると聞いていただけに、ワケがわからず、放心した。
悲しみはこみ上げてこなかった。
全く実感が湧かないんだ。
それから、ぼくはただ、彼の葬儀に1人でも多くの人が来てくれるように、半ば事務的に、片っ端からこの知らせをもう何年も会っていない友達に連絡し続けた。
当日、みんなが呼びかけてくれた甲斐あって、たくさんの人が来てくれた。
彼の人望を感じた。
まず、お焼香をした。
しばらくして、少し落ち着いた頃に、彼の顔を見に行った。
もうダメだった。
何が悲しいのかもわからないし、本当はちっとも悲しくなかったのかもしれない。
ただ、涙がひっきりなしに出てきて、嗚咽した。
彼のお母さんはぼくを抱きしめてくれた。
情けなさすぎる。
ほんとはぼくが抱きしめてあげないといけないじゃないか。
でも、もう言葉も出せないくらいヒクヒクで、
「はんばって・・くら・はい(がんばってください)」と言った。
根拠がないとは、このことだった。
ぼくが彼とどれくらい仲が良いとか、どれくらい傷つけたとか、どれだけお互いのことを考えていたとか、そんなことはどうでもいいことだった。
ぼくはただの「存在」になっていた。
その存在が、意味のわからない感情か、出来事か、今でも何でかわからないけど、やたらと涙していた。
勝手なことだと今も思う。
こんなことがなければぼくは彼とはそこまで頻繁に会わなかっただろうし、お互いずっと生きていたとして、一度も会わなくたってそれはそれで問題なくお互いの人生を全うしたんじゃないかと思う。
彼がこの若さで逝ってしまったがために、こういう形で再会することになって、ぼくは自分の脳みそが強制的に(あるいは義務的に)行なう記憶のフィードバックを感知して、彼の存在がなくなってしまったことを認識する。
その運動で、ぼくははじめて悲しみを知る。
そんな自分勝手でオートマチックな悲しみなんて、いらない。
ただ、彼ががんばって自分の人生を生きようとしていたことと、それをご家族が必死で応援していらした姿を目にして、巨大な悲しみと悔しさを感じる。
神様を憎むわけでもなし、誰を憎むわけでもない。
強いて言えば、死ぬことやお別れに特別な感情を付与してしまった人間に、言い知れぬ愛おしさと憎しみを感じる。
いつだってそうだ。
死は、生を自覚させる。
それから、空を見る度に彼の笑顔とか、悔しそうな顔を思い出す。
残ったぼくは、ただ懸命に生きようと思っている。